昭和の航空自衛隊の思い出(462) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(17)

      昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。

 今回は、西部及び南西の防空管制群を紹介します。 
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
【現在の感慨】
❶  西空の防空管制群は、峯岡山サイトのコントロ-ラ―時代に交差訓練で訪れたことはなかった。それが指揮幕僚課程を卒業して、西部航空方面隊司令部に人事幕僚として勤務した折は、人事部の作戦運用の主務担当として活動することになった。西空司令部の当直幕僚に就いた時は、運用幕僚と一緒にオペレーシヨンで勤務した。また、後年、西部航空警戒管制団司令部人事 部長として 春日基地に勤務した折は、同一基地内であったこと、隷下部隊であったことから西部防空管制群のシンボル・マ―クは日常的に見慣れてきたので懐かしい思いがする。
❷ 南西防空管制群は、西空司令部人事幕僚として、沖縄異動交流に関する准尉・空曹及び空士人事を担当した時、沖縄所在部隊の状況を研修した。その後、空幕人事課人事第2班長して沖縄交流を主題とした講習主催の折、沖縄所在全部隊を順次訪問した。

➌ 西部防空管制群のシンボル・マ―クの三つの矢、南西防空管制群の沖縄の鳥ヤンバルクイナは印象的であったことを覚えている。
昭和の時代  西部防空管制群 ( 春日)のシンボル・マ―ク

f:id:y_hamada:20190614114758j:plain

令和の時代   西部防空管制群 ( 春日)  出典 西部航空警戒管制団ホ-ムペ-ジ

f:id:y_hamada:20190623212212j:plain

昭和の時代  南西防空管制群 ( 那覇)のシンボル・マ―ク

f:id:y_hamada:20190614205456j:plain