昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。
今回は総隊防空指揮群を紹介します。 次回から北部・中部・西部・南西の防空管制群を紹介します。
平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
【現在の感慨】
❶ 総隊防空指揮群は、府中基地に所在し、航空総隊司令部において人事幕僚として日常的に訪れた。また、作戦運用に関しては人事部の主務担当として活動した。
❷ 防空指揮群のシンボル・マ―クは,AC&Wの総本山らしく富士山を据えてのデザインが印象的であった。
昭和の時代 総隊防空指揮群 ( 府中)のシンボル・マ―ク
平成の時代 作戦システム運用隊(横田)
平成26年(2014)3月26日 防空指揮群は、プログラム管理隊はとともに廃止統合され、作戦システム運用隊が新編された。(初代隊司令には防空指揮群司令が就任し、隊司令が横田基地司令を兼任している。)
令和の時代 作戦システム運用隊 出典 作戦システム運用隊ホ-ムベ-ジ
作戦システム運用隊は、航空情報を収集し関係部隊等へ情報提供を実施する部隊です。また、横田基地における隊員生活等に関する業務を実施しています。
【所在基地:横田基地及び入間基地】