昭和の航空自衛隊の思い出(454) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(9)

    昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE」に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。数字の若い部隊から紹介することにします。
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。
航空自衛隊レ-ダ-サイト】

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《 航空自衛隊AC&W部隊・レ-ダ-サイト、出典ウイキベキァ参照 》

* 平成29年7月 南西航空警戒管制隊は、南西航空警戒管制団となった。
【現在の感慨】
❶ 経が岬、襟裳とも地図上に当該レ-ダ-基地を示したのが、わかり易く印象的であった。地理的特性からくるものであったように思った。
経ヶ岬サイトは、2尉時代に中部航空警戒管制団司令の部隊視察に副官として随行した。時を経て空幕人事課人事第2班長として部隊訪問した折、群司令はじめ3術校4科長時代の教え子の総務人事幹部たちにじっくりと基地内を案内してもらったことが強く記憶に残っている。レ-ダ-の山頂からの眺めは格別で、山陰の美しい海岸線が眼に浮かぶほど印象的であった。
自衛隊を退官してから、北海道は札幌の雪まつり、小樽等 ツア-で旅行したきりである。ゆっくとできる時が来れば、 襟裳を含めて、車で北海道を10日ほど夫婦で旅をしたいと思っていたが、いつの間にやらや馬齢を加えてしまった。今や車での長距離は無理となっていしまった。何事も元気いっぱいの時にやっておくべきだった。歳月は不帰である。
昭和の時代  第35警戒群 ( 経ケ岬)のシンボル・マ―ク 

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 令和の時代 第35警戒隊( 経が岬)   出典 第35警戒隊ホ-ムペ-ジ

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昭和の時代  第36警戒群 ( 襟裳) のシンボル・マ―ク 

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令和の時代 第36警戒隊( 襟裳) のEmblem 出典 第36警戒隊ホ-ムペ-ジ 

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 ~デザインの意味~
○スコープの映像を利用し、レーダーサイトであることを象徴
○鷲と青字
  ⇒ 航空自衛隊
○北海道の地図
  ⇒ 北海道に所在する北空隷下部隊
襟裳岬から出ている4色の放射線
  ⇒ 赤が通信電子小隊、白が基地業務小隊、緑が総括班、黄色が監視小隊
○レンジマーク
  ⇒ 左側に3本、右側に6本あり、36をイメージ