昭和の航空自衛隊の思い出(450) AC&W部隊のワッペン(シンボル・マ―ク)(5)

    昭和の時代、AC&W部隊は、飛行部隊に負けじとワッペン(シンボルマ―ク)を制定していった。昭和61(1986)年11月コントロ-ラ-親睦会機関誌「NEWAGE}に掲載されたものである。
 昭和の時代に制定されたシンボル・マ―クは、実に昭和の時代と部隊の状況を如実に反映しているように思われる。「シンボル・マ―クの由来」と合わせてワッペンを眺めると往時の状況が眼に浮かぶようである。数字の若い部隊から紹介しています。
 平成時代を経て、令和の時代の各部隊のシンボル・マ―クは部隊改編等により新しいエンブレムとしても統一されているようである。

航空自衛隊レ-ダ-サイト】

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《 航空自衛隊AC&W部隊・レ-ダ-サイト、出典ウイキベキァ参照 》

* 平成29年7月 南西航空警戒管制隊は、南西航空警戒管制団となった。

【現在の感慨】
❶   航空自衛隊在隊間、北部航空方面隊のサイトを訪れたのは、大湊・当別奥尻根室のみであった。稚内・網走・襟裳・加茂・山田サイトは残念ながら訪れる機会がなかった。稚内サイトのシンボル・マ-クは、北辺の地ならぬ熊と狸の組み合わせと発想に強い印象を受けたものである。

❷    海栗島サイトは、西部航空警戒管制団司令部人事部長として、船と航空機で部隊訪問した。離島サイトも住めば都、国防の第一線で黙々と任務を果たす様々な自衛官人生が、昔も今も続いている。

➌ 昭和と令和の時代のシンブルマ-クを対比させてみた。用語の使い方からデザインと意味など時代の変遷を読み取ることができる。

 昭和の時代  第18警戒群 (稚内)  のシンボル・マ―ク

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令和の時代   第18警戒隊(稚内)Emblem      出典 第18警戒隊ホ-ムペ-ジ 

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【制定】
平成12年
【意味】
上部のクラウンと下部のベルトは、部隊の士気と隊員の団結を表しています。稚内からサハリンを常に凝視して監視しているという意味です。

 

昭和の時代  第19警戒群(海栗島) のシンボル・マ―ク 

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令和の時代   第19警戒隊(海栗島)   出典 西部航空警戒管制団ホ-ムペ-ジ

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