昭和の航空自衛隊の思い出(432) 最初にして最後の航空幕僚監部勤務を終える

    航空幕僚監部勤務は、昭和60(1985)年8月 、最初にして最後の勤務であった。空幕人事課人事第2班で1年4月総括として1佐高橋和夫班長を補佐した後、昭和61年(1986)12月5日、空幕人事課人事第2班長を命ぜられ、63年(1988)6月末まで1年7ケ月務めた。通算して空幕勤務は約3年であった。空幕人事課勤務は、心身ともに好調で無事に職務を全うすることができたこと、思い切り仕事ができた満足感・充実感があった。

    航空自衛隊の作戦部隊の最高司令部である航空総隊司令部勤務と同様に、中央官庁である防衛庁航空幕僚監部に勤務することができたことは自衛官生活の終盤を飾るにもったいないほど光栄なことであった。

 空幕着任時の幹部教育のとおり、空幕勤務は部隊等勤務と全く異なり、航空自衛隊の人・物・金を握り、諸施策を立案・推進する総本山であった。班長として、自分なりにやれることはやり遂げたとの満足感と厳しい勤務を乗り切ることができた清々しさがあった。

    最初にして最後の中央勤務で見聞した経験から次のような所感を持った。

   空幕へ勤務者する多くは、若い時期から各職域で頭角を現わした優秀者の集まりであり、厳しい試練の場であるが、上級幹部として大成するには、この修羅場を経験し、突破する資質能力が必要であることを実感した。

 新施策・事業を立案し予算化するまでの過程は実に多くの狭き関所を潜り抜けて日の目を見るに至るものである。また、航空幕僚長名の通達一本出すにも優秀な幕僚が英知を集め、組織的に徹底的に検討して、決裁を仰ぐ過程は、部隊等における司令部活動のさらに上をいくものであった。こうした修羅場を踏めば踏むほど、自信がつき、着実に成長する姿を垣間見ることができた。

    次の補職は、防衛庁長官直轄部隊である航空自衛隊調査隊に1佐職の副司令が設けられることとなり、昭和63(1988)年7月1日初代の副司令を拝命した。人事発令は6月30日、後任の人事第2班長には航空学生出身の西村禎一郎2佐(1佐昇任)が補職された。 

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 《 人事発令通知書 》