先日、浜松基地遠州灘新聞で、第1術科学校隊舎前の 石碑「空の勝利は技術に在り」が移設されたとの記事を拝見した。昭和32年当時に勤務し、青春時代の思い出の一つとして以前にブログで取り上げたことがある。
60年の歴史を刻んだ石碑、昭和31年に整備学校(現在の第1術科学校)の学生隊舎前に設けられた 石碑「空の勝利は技術に在り」の今昔をまとめてみた。
1 浜松基地石碑「空の勝利は技術に在り」移設の記事
2 現在の石碑「空の勝利は技術に在り」( 31.4.2撮影 )
《 31.2.28浜松基地遠州灘新聞の記事と移設後の石碑である。遠州灘新聞によると、石碑は富士山 を象ったものと推察されており、今回の移設に合わせ、富士山と一体で世界文化遺産に登録された「三保の松原」の三保半島と駿河湾を模した枯池を、隊員の手で新たに碑前にあつらえたと紹介している。現代を取り入れた石碑は、歴史を刻み昔ながらに輝いていた。石碑裏面下の碑台となった石に「空の」があったのは当時全く気づかなかった。》
3 昔と今の石碑「空の勝利は技術に在り」
❶ 昭和32年10月
《 昭和32 年10月撮影、石碑が建立されて1年後であった。 》
y-hamada.hatenablog.com
❷ 平成31年4月
《 平成31年4月2日 、60年の歳月が流れた石碑「空の勝利は技術に在り」を訪れた。》