山門の人生の教示  「正月を迎える心で日々新たに生きる人は幸福なり」と道

1   洞雲寺山門の掲示「正月を迎える心で日々新たに生きる人は幸福なり」

  今日は15日、新年を迎えてから早や半月たってしまった。今朝、菩提寺天龍山洞雲寺に墓参りをし、改めて、山門の掲示「お正月を迎える心で日々を新たに生きる人は幸福なり」を言葉を噛みしめた。

    人間は、新年を迎え心を新たにした日の決意、希望、目標、抱負、感動、感激など、時が経つと薄れるものである。誰しも新年には心新たなるものがあったはずであるが、しだいに色あせてきたりするものだ。

    正月の誓いや決意、感動が薄れたからといって、しおれることはない。人間だからだ。人の心は時と共に変わるものだ。これが人間だからだ。毎日が同じではない。

    そのためには、まさに正月を迎えた日のように、新鮮な気持ちで、日々新たな心で毎日を過ごす心掛けが求められている。この心掛けができるかどうかである。

    今日はこんな1日でありたいとの心意気があると、毎日の生活は一変する。自分の1日は自分自身の心にある。自分で作るものではなかろうか。

     特に高齢になればなるほど、日々新たに生きる心掛けは必須であるように思う。自由に自分の時間が使えるからである。

2   相田みつをの作品「道」   

    昨日、鶴亀会の初詣での折に、吉良の竜宮ホテルで会席を終えて一休みしていたら、「相田みつを」のギャラリ―が設けられていたのでのぞいてみた。

    かって、十数年前、東京の「相田みつを美術館」を訪れたことがあった。数冊の作品集も所蔵している。心に強烈に残る短切な詩と個性豊かな書体と筆力から印象深いものがある。

   ホテルのギャラリーに掲げられていた作品一枚が「道」である。相田集の中には「道」についていろいろな作品がある。「道はじぶんで作り、自分で切り開く」といたものもある。つまるところ人生はわが道を自分で作り、切り開く以外にはない。これなどは私の好きな作品である。

    これに対して、長い人生には避けて通れない道があるとの作品である。どの道を歩むにしても、主体性を持って通ると受け止め方は違ってくるものだ。歳をとると、必ず「老いる道」を進まざる得ないのもその道であろう。

    どんな道を通るにしても、あるがままを受け止める姿勢、受容は、人生に必要である。そこには道への柔軟性、臨機応変の歩みが求められる。

「日々新たに生きる」も同じである。そこに相通じるものであると感じた。

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《 平成31年1月15日 天龍山洞雲寺山門の掲示「お正月を迎える心で日々を新たに生きる人は幸福なり」》

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《 平成31年1月14日 三河湾国定公園 渚のリゾ-ト竜宮ホテルに設けられた相田みつを作品「道》」