老いる雑感( 50 )  年賀状、書籍等の整理始末と元気あっての生き方

1  年賀状整理で感じたこと

 正月三が日はのんびりと過ごした。いただいた年賀状は拝読しパソコン入力などの処理を行った。整理をしてみて感じたことは、歳を重ねるごとに、先輩・同期・同僚など亡くなられる方が増えたこと、喪中のはがきが増えたこと、年賀状のやり取りは今回で終わりにしたいと認められた方が多くなったことである。

 多くが同年代であり、終活を本格的に始めている様子がうかがえた。当然のことで、口では身辺を整理するといいながら一向に実行が進まないのが実情である。なんだかんだといいながら、思い切って全部を破棄するところに至らない切なさがある。資料など少しは整理をしたと思ったら、いつの間にやら別の資料が増えたりしている。

2   お迎えの切迫感とまだまだ感

 80歳以上になれば、いつお迎えがあっても不思議ではないが、もうちょと生きられるのではなかろうかと甘い予測や期待があるせいか今のところ全く切迫感がない。日常生活の中で体力の衰えは十分に自覚するが、自分の身体がどうなっていくのかわからないことから、まだまだ大丈夫との思いがある。

3  自己流で生きる充実感・満足感

 その上100歳時代の到来などという言葉が躍る世の中となった。昨年NHK番組で「人生100年時代」が取り上げられていた。近い将来100歳以上の高齢者が増加することは間違いなくやってくると予想されている。
 こうなると、どのように生きるかということと終末をどのように迎えるかの二点が焦点となってくる。人間だれも明日の運命を知ることはできないが、自分の人生は、己の信念と人生観に基づいて悔いのないように毎日を精一杯心豊かに生きたいと思う。これは側から見てどうかということではなく、自分が毎日の生活に充実感・満足感を覚えるかどうかではなかろうか。そして、どのような生活に充実感や満足感を持つかは人それぞれではなかろうか。所詮、自己流で生きることだ。

4   高齢期の有り様と性分

   高齢になればなるほど最後の過ごし方は異なってくる。取り巻く環境や個々の人生観や生き方が異なるからだ。一律でもなければ定理がない。真似ることなどできるものでもない。いろいろな生き方があるからこそ人生は面白い。

 忽然とこの世を去ったとき、家族にとっては、書籍や資料は大量のごみでしかないことを理解しているが、未だ書物を買って読んだり、資料を集めたりするのは、心豊かに生きたいと思う気持ちと性格からくるものかもしれない。

我が身が灰にならないと、この性分はどうも変わらないようだ。

5   元気あって言い分が通る

     元気や健康だけはお金で買うことができない。80を過ぎると、体力・気力・意欲が次第に減退してくるのは自然の理である。忘れものが多くなり、ちょっとしたことでつまずくようになる。元気なうちにやれることはやっておきたいという気持ちは強くなる。

     元気だから通る言い分でもある。そうした点では、目標を持って思いのままに精いっぱい毎日を過ごすことが健康につながり、元気でいられる源となっている。こうした良循環をいつまで続けられるかによって質の高い生活が保てるかにつながってくる。まさに元気あって言い分が通る。