元自衛官の時想(73 ) ノーベル賞授賞式に臨んだ本庶佑氏と和服の着用(1)

   2018年のノーベル賞の授賞式が10日午後(日本時間11日未明)、スウェーデンの首都ストックホルムで開かれた。
 がん免疫療法で新たながん治療の原理を確立したとして、医学・生理学賞に輝いた本庶佑(ほんじょ・たすく)京都大特別教授(76)は「日本で研究してきた」との思いを込め、持参した自前の黒紋付き羽織はかま姿で出席。カール16世グスタフ国王からメダルと賞状を受け取った。
 和服で授賞式に臨むのは1968年文学賞川端康成以来、半世紀ぶりという。(産経新聞の報道記事)と報じられた。

    経歴は、出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』によると次のとおりで、素晴らしい業績を残されたことに敬意を表するものである。

 本庶 佑(ほんじょ たすく、1942年(昭和17年)1月27日 - )は、日本の医師、医学者(医化学・分子免疫学)。学位は医学博士(京都大学・1975年)。京都大学名誉教授・高等研究院副研究院長・特別教授、公益財団法人神戸医療産業都市推進機構理事長、ふじのくに地域医療支援センター理事長、静岡県公立大学法人顧問、お茶の水女子大学学長特別招聘教授。日本学士院会員、文化功労者文化勲章受章者。
京都大学医学部副手、東京大学医学部助手、大阪大学医学部教授、京都大学医学部教授、京都大学大学院医学研究科教授、京都大学大学院医学研究科研究科長、京都大学医学部学部長、内閣府総合科学技術会議議員、静岡県公立大学法人理事長、先端医療振興財団理事長などを歴任した。
免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用により、2018年にノーベル生理学・医学賞をジェームズ・P・アリソンと共同受賞した。

1   晴れの舞台における和服の着用

   新聞・テレビの報道を見て、まず注目したのは、ノべール賞授賞式に出席した本庶佑さんの和服姿が印象的であった。授賞式では男性は燕尾服を着用するのが通例だとのことであるが、自前の紋付羽織はかまで身をまとい出席されたとのことである。本庶さんは日本で研究した思いを和服に寄せて、晴れの舞台に臨まれたようだ。

 和服は、文字通り「和」の「服」、すなわち日本の衣服という意味である。この言葉は明治時代に、西洋の衣服すなわち「洋服」に対して「従来の日本の衣服」を表す語として生まれたといわれている。

 国際的な晴れの舞台で、日本の男性として、和服で臨まれたのは良かった。世界的な感覚からすれば、和服は日本の象徴であり民族衣装ととらえてよいのではなかろうか。その点では、授賞式においても際立っており、「ここに日本男子あり」と好感が持てた。

    本朝のニュ-ㇲでも、スウェーデン国王主催の晩さん会に向かう本庶佑・京都大特別教授と妻の滋子さんの和服姿が写真で報じられた。手をつないでのほほえましい姿に温かいものを感じた。

 やはりこうした世界の晴れの舞台は、日本人には和服が似合うことを改めて感じさせられたのは私だけであろうか。

2   日常生活における普段着の和服着用

 和服も、自前の紋付羽織はかまをそろえるとなると大変である。特に女性の和服一式をそろえるとなると結構な物入りである。紋付となると注文して家紋をつけてもらうことになる。先祖代々の家紋にとらわれなければ、今や貸衣裳など利用でき便利になったものだ。

    それにしても、今日、一般の 庶民にとって、普段の生活で和服・着物を着るということは特別なことがない限り見られなくなった。私ももっぱら洋服のみになった。洋服の類は普段着も安くてしっかりしたものが出回り、和服は特別な時のみのとなった。

 かって、昭和の航空自衛官時代、昼間は制服を着用していたので、30代から40代においては、裃を脱ぐ思いで、夏場を除き、家にいるときだけは普段着として着物を着用していた。とてもくつろいで過ごすことができたように記憶している。家内も着物姿が多かったように覚えている。 

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《 テレビ報道の画面から 》