浜ちゃん日記  地域における初盆供養・盆義理と天龍山洞雲寺山門施餓鬼会

1  地域におけ初盆と盆義理

❶ 初盆と盆義理の風習 

 お盆は、8月13日から16日までの4日間であるが、土地柄・地区によって異なっている。神久呂地区では実質的には13日~15日のようである。

 初盆を迎えられた家庭では、祭壇を設け親戚縁者が集まって初盆供養・法要を営まれるのが一般的である。

    遠州地方では、こうした初盆供養に際し、知人等が弔問する「盆義理」の風習が行われている。盆義理は、故人・仏様とご縁のあった町内の皆さんが初盆宅を弔問する習わしであり、これを「盆義理」といっている。

   盆義理は、お盆の間行われるが、神久呂地区は大体14日の午後訪れる方が多いようだ。地区によっては13日のところもある。これも浜松旧市内は7月、郊外は8月に行われている。

    私の住む神原町は、8月になると、「自治会だより」に施主様の了解のもとに初盆が行われる方が掲載されるので喜ばれている。これによって初盆宅を確認し、盆義理の段取りを決めることになる。今年は8軒であった。

   初盆供養に何らの変化はないが、 家族葬の傾向とともに盆義理の風習は、時代とともに弔問者が減少の傾向にあるように感じられるがどうであろうか。

❷ 盆義理弔問と焼香台

 盆義理弔問は、施主様のお宅を弔問するが、昔は玄関から入るのが通例であったが、最近は、焼香台が祭壇のある部屋の窓側に設けられている場合が多く、外に設けられるているところもある。したがって、靴を脱ぐこともなくたったままで弔問を済ませることができる。

 施主様の家屋や家周りの状況によって異なるが、焼香台に至るには庭等を通ることが多いようだ。昔は祭壇部屋の窓を常時開けて扇風機をかけていたが、近時の真夏における猛暑は特別であり、すべての施主宅は祭壇のある部屋はク-ラ-を設けていることから弔問者のあったときに窓を開け焼香できるようにすることが多かった。

❸ 盆供とお返し

    弔問は、 盆供と書いたのし袋に、地域によって異なるが、大体千円程度を入れてお供えするところが多いように見受ける。盆義理に弔問された方には、心遣いをいただいたことと十分なおもてなしができないことから,挨拶状とお茶飲料水やソ-メン等のお返しがあるのが一般的である。

❹ 施主様への挨拶・口上

 弔問時の 挨拶の口上は、昔からそれぞれの地方で決まっていたようであるが、今はそのしきたり通りに行なつている人は少なくなった。 神久呂地区では、一般的に「初盆(新盆)を迎えられて、お寂しゅうございます」と施主に挨拶している姿を見かけてきたが、地元の古い人を除くと、最近は、焼香(榊)の後、無言の礼か、普通の挨拶に接するようになった。

     私は、まず「お参りさせていただきます」と挨拶した後、形通りの焼香等をして、故人・御霊と施主の関係に合わせて「仏様(お父様、お母様等)は、ご家族の皆さんに迎えられで喜んでおられることでしようね」、遺影を拝し「お会いできて懐かしい」と述べることにしています。要は心から故人を偲び、ご遺族を思いやることが最高の供養ではないかと思っている。

❺ 盆義理の御利益

  お盆に御霊を迎えて知人の故人と再び会えることは、単なる風習のご利益だけではなく、生前を偲ぶことができるからである。今の時代は義理や風習で初盆宅を弔問することはなくなりつつある。生前からのご縁を大切にすることは、人間関係が希薄になっていく時代だけに素晴らしいものである。お盆が取り持つ人と人との結びつきを深めるよすがとなっているのではなかろうか。

❻  初盆供養の御利益

    初盆供養は、故人の家に、子供・孫たちを含めて親戚がみんな集まってくる。お盆は故人の供養だけではなく、現世に大きなご利益をもたらしてくれる。

   それは、先祖や故人が親戚一同を呼び寄せて、「みんな仲良くしなさい」と場を提供し、さとしてくれているようだ。

     初盆ともなると、普通の年のお盆と違って、自分の家族のみならず親戚が多く集まるところに特色がある。普段は離れ離れの疎遠な親類も顔を合わせ、話をして、絆を深めることができる。ありがたい機会であり、初盆供養のご利益ともいえるではなかろうか。

 

2 天龍山洞雲寺山門施餓鬼会

   8月15日午後は天龍山洞雲寺山門施餓鬼会にお参りしてきた。施餓鬼会は、仏教的ないわれがいろいろと解説されているが、無縁仏や餓鬼に施しをするとともに、新亡の霊や先祖代々の諸霊を供養する法要であると理解をして水向け供養をした。

 さらに日頃の自分自身に巣くう「餓鬼」の心を反省し、自他ともに生かされている身をしっかり受け止め、わが残り少ない人生を少しでも有意義に、家族の発展を図り、地域社会に役立つことがあれば奉仕をしていきたいと心を新たにしたものです。

 ご詠歌も文句の印刷物をもらい奉詠者に合わせて一緒に小さく口ずさんでみた。施餓鬼会はそれぞれの立場で、新亡の霊や先祖代々の諸霊を供養する法要であるともに自分自身を顧みて積極的に一生懸命生きていくための誓いの場であることを理解した。

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 《 平成30年8月15日、天龍山洞雲寺山門施餓鬼会 》