浜ちゃん日記 政府が主催する 全国戦没者追悼式

 8月15日.本朝は未明から何回も強い雨が断続的に降った。お昼が近づくと晴れ上がり日差しが強くなった。その後また曇り空となった。

 本日は73回目の終戦の日であり、平成最後の8月15日.であった。政府が主催する 全国戦没者追悼式が日本武道館で挙行され、正午には自宅で戦争の犠牲となった約310万人の戦没者をしのんで黙とうした。

1 平成最後の全国戦没者追悼式

❶ 選抜者を追悼し平和を祈念する日

    菅義偉官房長官は14日付で、政府が15日に主催する全国戦没者追悼式にあたり談話を発表し、15日正午に戦没者をしのんで黙祷をささげるよう呼び掛けた。

 談話は次の通り。

 「 明日8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」であります。

 政府は、日本武道館において、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、遺族代表及び各界代表の参列の下に、先の大戦における三百万余の戦没者のため、全国戦没者追悼式を挙行いたします。

 この式典を政府が主催する趣旨は、今日の我が国の平和と繁栄の陰に、先の大戦において祖国を思い、家族を案じつつ、戦禍に倒れた戦没者の方々の尊い犠牲があったことに思いを致し、全国民が深く追悼の誠を捧げるとともに、恒久平和の確立への誓いを新たにしようとするものであります。

 明日の正午には、国民一人ひとりが、その家庭、職場等、それぞれの場所において、この式典に合わせて、戦没者をしのび、心から黙祷を捧げられるよう切望いたします。」

❷ 全国戦没者追悼式

〇 式辞  内閣総理大臣

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 安倍首相の全国戦没者追悼式式辞=終戦記念日  ( 時事通信社  出典 ) 

8/15(水) 12:02配信

時事通信

 15日の全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞全文は以下の通り。
 
 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表、多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。
 苛烈を極めた先の大戦において、祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れたみ霊、戦禍に遭い、あるいは戦後、遠い異郷の地で亡くなったみ霊、いまその御前にあって、み霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
 今日の平和と繁栄が、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。
 いまだ帰還を果たしていない多くのご遺骨のことも、脳裏から離れることはありません。一日も早くふるさとに戻られるよう、全力を尽くしてまいります。
 戦後、わが国は、平和を重んじる国として、ただ、ひたすらに歩んでまいりました。世界をより良い場とするため、力を尽くしてまいりました。
 戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、どのような世にあっても、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となるさまざまな課題に真摯(しんし)に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現する、そのことに、不断の努力を重ねてまいります。今を生きる世代、あすを生きる世代のために、国の未来を切り開いてまいります。
 終わりに、いま一度、戦没者のみ霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。 

〇 黙とう  

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〇  天皇陛下のおことば

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戦没者追悼式での天皇陛下のお言葉全文  ( 産経新聞   出典 )

8/15(水) 12:26配信    

産経新聞

 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に七十三年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から哀悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

 

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2 戦没者遺骨収集

  遺骨収集、112万柱なお現地に   ( 産経新聞記出典 )

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 先の大戦での戦没者は軍人・軍属約230万人、一般国民約80万人の計約310万人。そのうち海外や沖縄などでの戦没者は計約240万人いる。今年7月末現在で、半数近い約112万柱の遺骨が現地に取り残されたままになっており、戦後73年を経ても収集が思うようにいかない現状がある。

 厚生労働省によると、遺骨収集事業は昭和27年から始まり、これまで計約128万柱を取り戻した。最近5年間に収集した遺骨は年881~1437柱。国交がない北朝鮮や、対日感情に配慮する必要がある中国などで収容困難な遺骨が約23万柱あるほか、海没した遺骨などを除くと、収容可能な遺骨は残り約60万柱とみられるという。

 平成28年には遺骨収集を「国の責務」と記した戦没者遺骨収集推進法が成立。36年度までの9年間を遺骨収集の「集中実施期間」と規定したが、埋葬地を知る関係者が高齢化したり死去したりして、情報が年々少なくなり、収集は想定通りに進んでいない。

《 平成30年8期15日産経新聞記事 出典 》

 大東亜戦争終戦の日の思い出

2014-08-17    浜ちゃん日記  大東亜戦争と終戦記念日

❶.  終戦の日の式典

   一 昨日8月15日は68回目となる「終戦の日」であつた。政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で行われた。天皇、皇后両陛下のご臨席のもと、総理大臣、衆参両議院議長、最高裁長官及び全国の遺族の代表が参列し挙行された様子はテレビで視聴した。

   安倍晋三首相の式辞の後、正午に参列者全員が黙祷を始めると同時に家で黙祷をした。

    例年であれば、浜松市戦没者追悼祈念式典に参列し、隊友会の一員として会場の支援等に参加しているところであるが、今回は母の初盆・盆義理と菩提寺・洞雲寺において行われた寺施餓鬼のため欠席することとなった。かって地域の自治会長をしたときは町民を代表して式典に参列した。

    戦争の犠牲となられた方は、軍人・軍属約230万人と一般市民約80万人の計約310万人とのこと。戦場や戦禍に倒れ、あるいは戦後異郷の地で亡くなられた方々を偲び、静かに平和を祈念した。

    天皇陛下のお言葉、総理大臣始め各式辞の全文を読み直して見た。

    静かにその通り受け止めたら良いのに、自分の立場・主義・主張から余りにも騒々しい。それにしても国民が等しく誰はばかることなく、論評・意見を述べられるのだから、まさに「平和国家」「自由国家」と言えるのではなかろうか。

 

❷.  大東亜戦争の記憶

    大東亜戦争は、昭和16年(1941年)12月8日に始まり、20年(1945年)8月15日日本が米国をはじめとする連合国の示した無条件降伏のポツダム宣言を受諾して終結した。

 開戦時のことは、小学入学前であったのであまり覚えていないが、戦時中のことは、当時の記録などに接するとよみがえってくる。

    鳥取県の小さな農魚村の集落で過ごし、村の出征兵士を村離れまで見送ったこと、食料増産、金属類の供出、防空訓練、灯火管制などはよく覚えている。

    戦争末期に、小学校校庭に陸軍の小部隊が駐在し、燃料となる松脂の採集、空襲に向かう大編隊の米軍機を慄きながら眺めたことがある。

    何よりも最も強烈に印象に残っていることは、広島の陸軍にいた長兄が市中を部隊行動中に原子爆弾を浴びて、背中全体が焼け痔れて、ある日忽然と家に帰ってきたことである。倉吉の病院で治療を受けて、しばらくして軍務に復帰して行った。兄から原爆投下後の様相を聞いた。

    終戦の日のことは、当時、小学校4年生(国民学校といっていた。)であり、昭和天皇の戦争終結を告げる玉音を家のラジオの下で家族、近所の人たちと一緒に聞いたのを覚えている。   

 当時ラジオはガ〜ガァ雑音が入って聞き取りにくかったように記憶している。当日は暑い日でラジオを聴いた後、姉と一緒に梨畑に行った。なぜ梨畑に出かけたのか、一度聞きたい思いながらそのままになっている。