83歳老いる雑感(42)   父の寿命を超える

    7月5日は父の命日である。満83歳で逝ってしまったことから父を超える歳となった。時代が異なったとはいえ、同じ歳になって父の目から見たらどのように映ったのかと思うことがある。生きた時代が違い、親子といえども物の見方や考え方が違うであろうが、人間としての心情は同じではないかと思う。

     父は、畑作を中心とし、二十世紀梨の栽培、養蚕を主とした農家で、壮年時代から皆さんに推挙されて、村の養蚕組合長、教育委員、村議会副議長を歴任し晩年は老人会副会長などをした。

    子供の目から見ても、人のために誠心を持って尽くす、温厚実直な人柄で周囲から尊敬されていた。そんな父を超えることなどできないが、寿命だけは超えることになった。親は子供が全てにわたって自分を超えることを願うものである。そうした点では、寿命だけでも父を超えることができれば喜んでくれているのではなかろうか。

    歳をとるにつれて、どことなく父を見習っている自分がある。シニアクラブの活動など地域社会での活動の根底にあるものは、多分父が持っていたであろう信念・信条と同じものではなかったかと思うことがある。

    「親孝行したい時には親はなし」のごとく、今だったらいろんなことをしてあげられたのにと思う。人生とはこんなものであろうか。その時代に何でもできるときにしておくことが大事だと思う。

    人生は長いようで短い。寿命というものがある。身体が動くうちは、精一杯やれることはやっておきたい。