隊友会活動(32) 故日野勉隊友の告別式・家族葬に参列して

1.  大先輩日野勉隊友の告別式・家族葬

 隊友会会員であり、つばさ会会員である大先輩の 日野勉氏が()(、平成30年6月5日(火)に享年94歳(満92歳)でご逝去された。告別式が6月8日(金)1300~1400、浜松市の出雲殿において神式で執り行われた。突然ご遺族から訃報をいただき驚き、通夜にて喪主江佐子夫人にお悔やみ申し上げた。

    かって、昭和30年代の初め、浜松基地に所在する整備学校総務課で日野大先輩と一緒に仕事をした浜松在住の松下泰男・二木博行・白岸久夫の各氏も参列した。

2.  制帽・制服が収められた棺

 通夜及び告別式で故人と対面したが、現職当時着用された制服と制帽が収められていた。これぞ自衛官OBであると感動した。故人はもとよりご家族が自衛官であったことを終生誇りとしておられたことの証であり涙を禁じえなかった。

3.浜松航空隊歌を合唱し見送る

 告別式には、親族等のほか隊友会会員・つばさ会会員多数が参列し、「浜松航空隊歌」を合唱してお見送りした。音楽に合わせて勇壮な「浜松航空隊歌」の合唱で故人はどんな思いで彼岸へ旅たちされたであろうか。

 また、祭壇左右には、隊友会浜松支部、浜松つばさ会の供花が飾られた。外薗健一朗つばさ会会長から弔電が届けられた。 

4. 整備学校と敬愛した大先輩の思い出

 創設期の整備学校 

    昭和32年の21歳の春、ジェットパイロットの夢破れて、操縦学生を免ぜられて空士長として、浜松基地に所在する整備学校(現第1術科学校)へ整備学生要員として着任した。

 コ-ス待ち間、学校本部の総務課で総務業務を手伝っているうちに総務課員に登用され再出発することとなった部署であった。

 空士長から3曹・2曹と昇任し、内務副班長・班長も命ぜられ、幹部候補生選抜試験に合格し、幹部候補生学校へ入校するまでの総務課における3年、石原格太郎・鶴田千秋・岩月良行総務課長をはじめ優秀な人材が揃い、私の自衛官人生に良好な有形無形の影響を与えた。

 ❷   目指す空曹像となった敬愛する人事空曹

    昭和の30年代初めは准尉、曹長の階級のない時代で空曹の最上位は1曹 であった。総務課には、課を統括する先任空曹の福田正雄1曹、総務の相良武1曹、訓練の田中正治1曹、人事の日野勉1曹が諸業務の実務を取り仕切っていた。4名とも旧軍の軍歴を持ち、陸自の陸曹を経て、空自に転官、それぞれ個性豊かで、人格はもとより識見・技能に優れた方で私の目指す空曹像てあった。

    後年、人事幕僚として空自の骨幹をなす空曹の人事管理・経歴管理に参画した折も創設期の大先輩の雄姿が浮かび、「航空自衛隊の空曹はかくあるべし」との指標としたものであった。   

    日野勉大先輩は豪快な人柄でありながら、人事業務については、公正を旨とし細心・綿密にして正確な処理をされる方であった。模範的な人事空曹のお一人であった。昭和44年10月第15期3尉候補者課程を卒業、人事総務幹部として活躍、2等空尉で定年退官、事務官として防衛医科大学に勤務された。

 

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《 式場の一角に故人の在りし日の遺影が飾られた。棺に納められた制服・制帽は35年以上前に現職時代に着用されたものであった。退官後、自衛官及び家族が、いかに国家国民から負託された崇高な任務を全うしたことを誇りとしているかの証左と言える。自衛隊勤務の神髄がここにある。》

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《 隊友会会員・つばさ会会員多数が棺を囲み、「浜松航空隊歌」を二番まで合唱し、飯塚雅視浜松つばさ会会長の号令で45度の最敬礼をしお見送りした。》

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《 故日野勉隊友は、享年94歳(満92歳)で永眠された。当地の慣わしで、90歳以上は「長寿」にご縁があるようにと5円をのし袋に入れて皆さんにお配りしている。義母の99歳の永眠に際しても葬儀参列者に「長寿」をお配りした。まさしく天寿を全うしたといえよう。》