山門の人生の教示 命尊し生かそうわが命

  去る5月の1日早朝、菩提寺洞雲寺を訪れ墓参した。若葉が茂り躍動の季節である。山門入口の掲示板には、「命尊し生かそうわが命」と掲示された。

 文字通り明瞭・明快な言葉である。古今東西、人の命について語られたものはかきりないほどであろう。命がなぜ大切なのか。わかっているようで実はわかっていないのが命である。理屈などだけでは到底理解できないのではなかろうか。

    人の命については、誰もが大切なものだと思っているが、世の中にはその命を粗末にするものもいる。生きたい生きたいと願望してもかなわず、生きられないものもいる。これが命でもある。

 長い人生において、人の命について最も衝撃を受けるのは、一番身近な家族の突然の生死に直面した時ではなかろうか。親を失い、わが子をなくしたり、最愛の伴侶を失うことである。

   人の命が失われたとき、消えたとき、人の命の大切さ、この世の無情と儚さを身しみて受け止めることになる。心の嘆き悲しみは言葉で表現しきれないものである。  

    病気の場合は、少なからず死を覚悟して往くが、親子、兄弟姉妹に関わらず、歳が若ければ若いほど心の痛みは深く底しれないものがある。

    本当に命の尊さを知るときは、理屈ではなく、人の生死に直面し、心の中に重く耐え難い思いをしたときではなかろうか。

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《 平成30年5月1日朝、浜松市西区神ケ谷町洞雲寺山門掲示板 》