山門の人生の教示  天地は仏の広大無辺の慈悲力の光輝なり

    毎月1日と15日、早朝、天龍山洞雲寺に墓参りをしている。山門の1月の掲示は、「天地は仏の広大無辺の慈悲力の光輝り」であった。寺院であるから仏様を中心においているが、神社の立場からは神様を中心にして物事を考える。日本人の生活の中や心の中には、本人が意識しているかどうかにかかわらず、神様も仏様も一緒に宿っているといえよう。

 お正月には、神社・仏閣の双方にお参りした。そこには何の隔たりもない。古代から大和民族大自然と共存し、神仏を敬い、和を基調としてきた。自然界のありとあらゆるものを神仏と結び付け生活してきた。この敬虔な精神と感謝が、人の心を豊かにし、親を敬い、兄弟姉妹が仲良くし、夫婦相和し、子供をいつくしむ、他人を尊重することに繋がっていくのではなかろうか。

 こうした考え方で、「天地は仏の広大無辺の慈悲力の光輝なり」を解し受け止めてみた。常に何事にも批判型で不平不満の毎日をすごしたらつまらない人生になってしまう。それよりか仏様や神様の広大無辺の慈悲力に私たちは包まれて生活しているのだと思って過ごすと心が豊かになる。人生とは自分で作り上げるものだからである。 

  

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《 天龍山洞雲寺山門の1月の掲示は「天地は仏の広大無辺の慈悲力の光輝なり」であった。》