元自衛官の時想( 31 )  空自浜松救難ヘリ墜落事故・捜索断念と自衛隊の任務に思う

1.救難ヘリ墜落といまだ行方不明の救難員

 いよいよ年末が迫ってきた。元航空自衛官としては、去る10月17日発生の救難ヘリの墜落事故で、3名の死亡が確認された。痛恨の極みである。乗員遺族の嘆き悲しみは尽きないであろう。心からご冥福を祈ります。残念なことは、乗員4名のうち、未だ救難員井上雅文3等空曹(32)が発見されていないことである。

 いついかなるときでも、航空救難ヘリ部隊は、最も困難な状況下において、救難任務で出動し、敢然として任務を遂行してきた最強の最後の砦の部隊である。その航空救難の主役たる救難員が発見・救出できないことに胸が痛むのである。

 現職時代人事部門から救難員・メディクの人選と教育訓練、実任務の実相を垣間見てきただけに、寒波がやってきて荒れた波浪の遠州灘に思いをはせて現職隊員と同じように一層心が痛むのである。

 当然のことながら、毎年恒例の浜松基地の新年賀詞交歓会は行われない。矢嶋正仁浜松基地司令からは新年のご挨拶も浜松基地所在部隊航空機の墜落事故にかんがみご家族及び同部隊の心情に寄り添い遠慮したいとの知らせをいただいた。

2.救難ヘリの墜落と捜索活動、断念終了

 浜松基地所在浜松救難隊所属のUH60J救難ヘリコプタ-が10月17日に浜松市沖合の遠州灘に墜落し、乗員4名が行方不明になった事故以来、航空自衛隊の報道発表に注目してきた。回収されたフライトレコダ-、機体部品などから墜落に至るまでの経過、発生原因等は、やがて解明・発表されるであろう。

 その中で、空自は12月13日、捜索を終了したと発表した。乗員4名のうち3名の死亡が確認され、残る1名は見つかっていないが、発見につながる手がかりはないなどとして、捜索を断念したと発表された。捜索断念に至る部隊指揮官の断腸の思い、厳しくも辛い判断・決心やご家族の悲しくも辛い心中は察して余りあるものがある。かくも国家国民を守る自衛隊の任務・指揮官の判断決心・自衛官の職務遂行は厳しいものであることを知るのである。

 現場付近の海底では11月29日に機上整備員の2等空曹吉田貴信(40)、12月4日に機長の3等空佐花房明寛(42)、7日に副操縦士の3等空佐杉本英昭(46)がそれぞれ発見され、死亡が確認された。救難員の3等空曹井上雅文(32)の発見には至らなかった。

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 《 航空幕僚監部報道発表資料 出典 》

3.殉職隊員故吉田貴信2等空曹の葬儀告別式

 先日は、「浜松自衛隊家族ニュ-ス」に、殉職隊員故吉田貴信2等空曹の葬儀告別式の模様が掲載された。自衛隊家族会の一員として、家でご冥福を祈り合掌した。

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《 「浜松自衛隊家族ニュ-ス」NO.13 平成29年12月14日 記事抜粋 》

4.空自浜松救難ヘリ墜落事故の捜索報道 

❶ 静岡新聞ュ-ス (静岡新聞 出典)

 ①乗員1人の遺体収容 空自浜松ヘリ、3人は発見至らず (2017/12/4 07:35)

    航空自衛隊浜松基地浜松市西区)所属のUH60J救難ヘリコプターが同市沖合の遠州灘に墜落し、機長ら乗員4人が行方不明になった事故で、空自は3日、墜落現場付近の海底で発見した乗員1人の遺体を収容した。乗員名は公表していない。空自は残る3人の捜索も続けたが、発見に至らなかった。4日以降も捜索を継続する。
 遺体の引き揚げ作業は3日午前に開始し、午後1時に作業船に収容した後、浜松基地にヘリで搬送した。携帯していた身分証が引き揚げ後に発見され、墜落したヘリの乗員と特定した。
 遺体は11月29日に実施したカメラ付き無人探査機を使った捜索で、機体の一部が見つかった水深約700メートルの海底で確認されていた。
 これまでの捜索で、海底で見つかった機体後部と床部分を引き揚げた。空自はフライトレコーダー(飛行記録装置)の解析を進めている。海底に残る機体の天井部分の引き揚げも検討している。
 事故は10月17日、夜間捜索訓練のため浜松基地を離陸した救難ヘリが約10分後に浜松市沖合約20キロの海上でレーダーから消えた。墜落して沈んだとみられる。これまで墜落現場付近の海上では、ヘリのドアやテールローター(後部回転翼)、乗員のものとみられるヘルメット3個などが見つかり、回収されている。
 

②2人目の遺体は機長 空自浜松ヘリ墜落   (2017/12/5 17:10)

    航空自衛隊浜松基地浜松市西区)所属のUH60J救難ヘリコプターが10月17日に同市沖合約20キロの遠州灘に墜落し、機長ら乗員4人が行方不明になった事故で、空自は5日、墜落現場付近の水深約700メートルの海底で4日に発見され、死亡が確認されたのは3等空佐の機長(42)と明らかにした。
 着用していた飛行服や階級章などから身元を特定した。遺体は4日夕に作業船に収容され、御前崎港から浜松基地に車両で移送された。空自によると、ヘリの操縦は機長か操縦士が担当し、主に機長が操縦していたとみられるが、事故当時の状況は不明という。3日に収容され、死亡が確認された2等空曹(40)は機上整備員として、機内で計器の整備やデータ処理などを担っていた。
 空自は海上の波が高いため、5日の捜索は中止した。残る2人は発見されていない。
 これまでの海底での捜索で発見した機体後部と床部分を引き揚げ、機体に装着されていたフライトレコーダー(飛行記録装置)の解析や事故原因の調査を進めている。海底に残ったままの機体天井部分の引き揚げも検討している。

 

③3人目の遺体収容 空自浜松ヘリ墜落操縦士の3佐  (2017/12/11 12:25)

    航空自衛隊浜松基地浜松市西区)所属のUH60J救難ヘリコプターが10月17日に同市沖合約20キロの遠州灘に墜落し、機長ら乗員4人が行方不明になった事故で、空自は10日、現場付近の海底で7日に発見した乗員1人を収容した。浜松基地に搬送し、身分証などから操縦士の3等空佐(46)と特定し、死亡を確認した。
 空自によると、遺体はカメラ付き無人探査機を使った捜索で、機体の一部や既に収容された乗員2人が発見された水深約700メートルの海底付近で確認された。10日午前6時ごろから引き揚げ作業を始め、午後0時25分ごろに作業船に収容した。
 現場付近の海底では11月29日に機上整備員の2等空曹(40)、12月4日に機長の3等空佐(42)がそれぞれ発見され死亡が確認されている。空自は行方不明となっている救難員の3等空曹(32)の捜索を続ける。
 空自はこれまでに、海底から機体後部と床部分を引き上げ、機体に装着されていたフライトレコーダー(飛行記録装置)の解析を進めている。海底に残る機体天井部分の引き上げも検討している。

④不明乗員の捜索断念 空自浜松ヘリ墜落、手掛かり見つからず(2017/12/14 07:45)

 航空自衛隊浜松基地浜松市西区)所属のUH60J救難ヘリコプターが10月17日に同市沖合の遠州灘に墜落し、乗員4人が行方不明になった事故で、空自は13日、捜索を終了したと発表した。乗員4人のうち3人の死亡が確認され、残る1人は見つかっていないが、発見につながる手がかりはないなどとして、捜索を断念した。
 空自によると、11月2日から墜落現場付近の水深約700メートルの海底での捜索を続けてきたが、行方不明の乗員の手掛かりが見つからず、発見の可能性は低いと判断した。海底には機体天井部分も残ったままになっているが、空自は「気象条件なども考慮し、海底に散在している機体や部品の全てを引き揚げることは困難」と説明した。フライトレコーダー(飛行記録装置)が既に海底から回収されていることなどから、空自は「事故原因の調査究明は可能」としている。
 現場付近の海底では11月29日に機上整備員の2等空曹(40)、12月4日に機長の3等空佐(42)、7日に副操縦士の3等空佐(46)がそれぞれ発見され、死亡が確認された。救難員の3等空曹(32)の発見には至らなかった。
 空自はこれまでに、海底から機体後部と床部分を引き上げ、機体後部に装着されていたフライトレコーダーの解析を進めている。
 事故は10月17日夕、夜間捜索訓練のため浜松基地を離陸した救難ヘリが約10分後に浜松市沖合約20キロの海上でレーダーから消えた。墜落して沈んだとみられる。これまでの捜索で、墜落現場付近の海上ではヘリのドアやテールローター(後部回転翼)、乗員のものとみられるヘルメット3個などが見つかっている。

➋ 中日新聞記事 (中日新聞 出典)

f:id:y_hamada:20171227185127j:plain 《 中日新聞・平成29年12月26日静岡地方版「2017 しずおかこの1年」の記事 》