山門の人生の教示   幸せって  奪い合えば足りない、分けて食べれば余る

   12月師走の月を迎えた。天龍山洞雲寺へ墓参りをしたが、境内はイチョウの木々から枯れ葉が風の吹くたびにゆらゆらと舞った。山門でその情景を見て、冬になったなあと季節の変わり目を強く感じた。 モミジも紅葉したが、寒さが一段と増して色づいてきたようだ。

  「  幸せって  奪い合えば足りない、分けて食べれば余る。」

 人の幸せって何だろうかと考えることがある。歳を取って先が短くなり、限りある自分の人生を考えるとき、幸せは、「自分の心にある」ことを知る。満ち足りた心になるのかどうかも自分の胸三寸にあることに気づくのである。

 朝起きた時は、「今日はいい日にしたい」と思い、一日の終わりに床に就いたときに「今日もいい日だった」と思える毎日でありたいと努めている。      

 [奪い合えば足りない、分けて食べれば余る」 東京は相田みつを美術館を訪れた時にも大体同じような言葉を独特の字形で表現していたのが印象に残っている。記念に相田みつを集を買って帰ったが、多くの書籍に紛れてどこに入っているのか探すことができない。 

 「奪い合えば足りない、分けて食べれば余る」本当にいい言葉であり、そうありたいとみんなが思っている。個人の生活から家族・地域社会・国家・世界に共通する真理ではなかろうか。

 わたくしたちの生活、生き方の基本は「分け合う」ことから始まる。その根底には「いたわりあう心」があってできるものだ。この気持や心は、恵まれすぎている時には忘れがちであるが、ひとたび、困難や乏しい時によみがえる。非常災害においては食料一つにしてもみんなで分け合うことから始まる。 

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《 浜松市西区神ケ谷町天龍山洞雲寺山門の掲示 ⦆

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 《 風が吹くたびにイチョウの枯れ葉が舞った。⦆