山門の人生の教示 お墓参りと銀杏  「先祖様一枝供えし菊の花 」

1.「先祖様一枝供えし菊の花 」

  毎月1日と15日には、菩提寺である天龍山洞雲寺にお参りし、お墓に花を供えている。今日は奉仕を一つしようと夫婦で、通路に落ち葉があったのでほんのちょっぴり清掃して帰った。山門には、「先祖様一枝供えし菊の花 」とあった。

 お墓に供える花は、家で育てた花を摘んだり、農家で売っている花を買ってお供えすることもある。菊は家庭菜園に育成しているが、花と葉が落着いており品格がある。何といっても長持ちするのは菊の花である。

 人の世は、どんなに世代か変わっても、受け継がれていくものだ。親から子、子から孫へと受け継がれていく。まさに「次ぎ次と先祖あっての今がある」である。

.「井戸水のつめたき朝に沙羅ひらく」情景がはっきりと浮かぶ句である。今度境内の沙羅の木を観察してみよう。

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2. 銀杏の実 

 洞雲寺の駐車場に車を止めたら銀杏の実が何個も落ちていた。上を見上げたら巨大なイチョウの木が茂り実をつけていた。銀杏と言えば、昭和の子供のころガキ同士が集まって郷里鳥取県湯梨浜町宇野の尾崎邸や安楽寺の庭で落ちた銀杏の実を拾って持ち帰ったことがある。

 地中に埋めて身を腐らして取り出して洗うと、真っ白な銀杏を手にすることができた。腐りかけの銀杏の実の匂いが強烈で、何回も手を洗ったことを思い出した。小川で洗っても洗っても強烈な匂いが取れなかったことが強く印象に残っている。大東亜戦争中や戦後に食材を子供たちが集めてきた懐かしいよき時代であった。

「ガキ同士銀杏拾って手を洗う」 

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《 秋の味覚銀杏の実  》