山門の人生の教示  海と大気とは何人にも共有である

    今朝から浜松地方は小雨がふったが、当地は降りそうで降らない天気で一日が終わってしまった。花の会の関係で市役所に書類提出で車で出かけたが、多少の降雨もありうらやましいかぎりであった。

 先般8月1日は、早朝墓参りをした。洞雲寺山門入り口の掲示は「海と大気とは何人にも共有である」とあった。今も昔も自然は何人とも等しく共有である。

 子供 たちは夏休みになった。私の子供時代は宿題はもちろんあったが、子供同士でふるさと鳥取の宇野海岸で浜辺や岩場で海水浴をしたリ、魚とりをしたものである。帰りは必ず水量豊かで冷たくおいしい「ダキの水」を心いくまで浴びたものである。山合いに囲まれた集落には工場一つなく、それこそ空気はおいしかった。老若男女を問わず誰もが等しく共有していた。素朴なふるさとはどのようになっているであろうか。

 自然界は人間に等しくあらゆるものを提供してくれる。これをうまく使えるかどうかは、各人各様の知恵である。生きとし生けるものが共有している自然界であるが、現代は海、大気の汚染・破壊問題なるものが提起されるようになった。

f:id:y_hamada:20170801065132j:plain

《 海と大気とは何人にも共有である。 》