浜ちゃんブログ(13) ブログを泣かせない意地

1.  ブログを始めた頃

 ブログを始めてから1500日以上が経過した。思いもしなかったがんの発病が発端となってブログを書き始めたが、幸い82歳にして今日まで生き延びている。誰でも自分ががんになるなど思ってもいないものだ。自分は例外だと思ったりするのが人間の性というものであろうか。

    今では、がんのことは忘れたかのような格好で毎日を平穏に過ごしている。まさに、人生は一寸先は闇であり、分からないものである。山あり谷ありとすると、当時は谷底にいたのであろうか。

    最近、ブログについて、世上で話題になっていることが二つあるように感じている。ブログという文明の利器は便利なものだが、悪用されるととんでもないことになるからだ。

    一つはブログを悪用して、偽の情報を流しお金を儲けようとする輩が現れたこと、もう一つはブログに相手を非難・悪口などを書き世間の注目を浴びようとする類である。

2.  ブログで迷惑をかけない

 それにしてもこの世はさまざまである。そのほかにも、最近は、亡くなった人のブログなどの処理が話題になっている。先日も新聞紙上でこれらを取り上げた記事を読んだ。パソコン店を訪れた時も同じ類のことが広告に載っていた。突然亡くなってしまったらパソコンの暗証番号もわからなく残されたものがパソコンを開けなくなって困った時、どうぞという案内であった。死後のブログの処理も商売の対象となってきた。ブログの管理についてどうすべきか銘すべしと思った。

 ネット社会が進展すればするほど、他人に成りすまして語ったり、嘘の噂を流したりと悪用する事例は世の常である。

 私の場合、ブログは自分を中心とした事柄を書いているが、社会は人と人との繋がりであり、他人に迷惑をかけている面があるかもしれない。毛頭意図しなかったことが関連して起こることも考えられ、用心に用心が必要である。

3 ブログを泣かせない

 ブログを書くにあたって、一番大事なことは人の悪口を書かないことである。ほめることはあっても悪口を書かない。日常生活でも当たり前のことである。人の道というものであろう。悪口が横行し始めたら抑制がきかなくなってしまう。売り言葉に買い言葉になってしまうものだ。傍から見たら見苦しいのもである。ブログが泣いているように見える。

 論評や批判は一定の立場と基準を持って行われるので、受け入れられるが、悪口は感情的なものが先に立っている。ブログで悪口を書かないことを信条としている。ブログを泣かせない意地というものは貫き通したいものである。