神原町花の会(花美原会)(259) 神原の原野に咲いたヤマツツジを残したい

    真夏日の梅雨空から一転明日から梅雨空になる天気予報がでたので、神原会館周りに神原町のシンボル花「つつじ」(ヤマツツジ)を16本移植した。既存の3本と合わせて19本のヤマツツジを形成することができた。 

1  「神原町まちづくり構想」の策定

    わが神原町は、昭和30(1955)年に古くて新しい町として誕生した。神原町自治会は、町誕生50周年を記念して「神原町まちづくり構想」を決定した。

 まちづくり構想は、自衛隊勤務時代に各地を転任し,官舎地区の自治会長・副会長等を経験したことから自分が住む町は「こうありたい」との夢をもっていた。定年後、永住の地に居を構えてから推挙されて自治会部長・副会長・自治会長を歴任する機会があった。

 自治会副会長についてから、自治会長になったときの「まちづくりの在り方や運営要領」等を調査研究し、会長就任と同時に「まちづくり構想」の策定に着手したものである。「まちづくり委員会」を設けて、町民の約1割の方に委員になってもらい、町民の要望・意見を吸い上げて、各テーマの専門部会で調査研究、討議し構想をまとめあげたものである。

2  つつじを神原町の花に制定

 まちづくり構想の一つに「神原町のシンボル花として、つつじを選定」した。

    つつじを選定した理由は、今は亡き敬愛する最長老井嶋隆司さんたちから神原町の区域は、昔は「原山」の地名が残っているごとく、野原にヤマツツジが多数生息して花が咲いて美しい風景が見られたとの証言があり、ツツジ神原町のシンボル花として採用されたものである。

 また、神原町には「わが町の歩み」となる町史的なものがなかったことから、資料の収集と聞き取りにより調査研究し編纂することした。この中でも神原町ヤマツツジが多く生息していたことを確認することができた。

 3   元木ヤマツツジからの挿し木採集

   50周年を記念して「つつじの植樹」は、浜松市の緑化交付制度を利用し、一般的な100本のつつじを会館に1本の他各家庭に移植した。このつつじは、今も多くの家庭で毎年花を咲かせている。   

     神原町は、誕生後開発が急速に進み、昔の原野の面影は全くなくなった。町内の一角にある池谷仙太郎さん宅にとどまるのみとなっていたのである。

    その後、ときの自治会長相佐末吉さんが町内の池谷仙太郎さんの屋敷に昔からのヤマツツジが生息していることを見つけた。こうした経緯で、神原町に昔から咲いたヤマツツジのDNAを持つヤマツツジの元木の採集に至った。

4   10年間の挿し木からの育成 経験

 神原町のシンボル花「つつじ」の制定を契機に、平成19年にはかって釜穴川の右岸に形成したツツジから挿し木をして健康広場の開水路寄りに挿し木が育てて移植したりしてきた。

   次いで、植物に造詣の深い相佐末吉さんの助言により池谷仙太郎さん宅に咲くヤマツツジを採集し、挿し木をして家庭で育てる試みをした。多くは枯れたりしたが生き残りの4本を神原会館の一角に移植した結果、2本は順調に育てることができた。

    こうした試みをして経験を重ねて、平成27年(1915)6月ヤマツツジの元木から再度採集し、挿し木で育てた後、さらに畑に移植し成長させてから神原会館へ移植する方法をとることにした。

    このような試行錯誤を経て今回はわりあい成長の良かった16本を選び移植することになったものである。

5 梅雨時の移植と世話

    移植は、休息期が最適の時期であるが、梅雨時、しかも会館には散水設備があることから移植を行うことにした。

    長期にわたって、世話をすることは大変であることからこの際、全部を移植し、区切りをつけることにしたものである。

    梅雨時期が終わるまでは、毎日夕方状況を確認し、根付くまで根気よく世話をすることになるであろう。

6  10年後にかける期待と構想

 「神原町まちづくり構想」は、10年にわたる努力により多くは定着することとなって成果を上げることができた。先人たちが神原の原野で慣れ親しんだヤマツツジをわが神原町にが残したいとする強い思いが、今日の移植に至ったものである。

 神原会館に移植したヤマツツジがやがて成長し、逐次挿し木によって数を増やし神原会館の周囲を飾るようになればと願望するものである。

 言うは易し行いは難し、理想や夢を描くことができるが、挿し木から始めて長期にわたってその実現を図ることは容易ではない。今回の移植はほんの一部でしかない。移植したものが順調に生育し、ヤマツツジが大きくなって花を咲かせるなど本領を発揮してくれる日を期待するものである。

 ヤマツツジの育成は、多くの仲間の協力支援によって推進されてきた。わが家では、ヤマツツジの挿し木の世話は家内がやってくれた。ヤマツツジに寄せるが花美原会代表たる私の「神原の原野に咲いたヤマザクラを後世に残したい」とする願望は、道半ばであるが次に続く人たちに託することにした。幾代にわたって営々と受け継がれることが大事であるからである。

 人生はほどほどがよいからである。

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《 平成19年に神原会館に記念植樹したツツジ、10年の歳月を経て健在である。 》

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《 神原町のシンボル花「つつじ」の制定を契機に、平成19年には、かって釜穴川の右岸に形成したツツジから挿し木をして健康広場の開水路寄りに挿し木が育てて移植した。平成21年ごろのつつじの状況、現在は大きなつつじとなっている。 》

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《 神原町の原野に生息した昔からの山つつじ、この元木から挿し木を採集した。 》

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《 元木から採集したヤマツツジの挿し木、この先端の一部をポットに挿し木した。 》  

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《 ポットで挿し木から育てたヤマツツジを一年後に畑に移植し、根がしっかり春まで育てた。 》  

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《 移植のため栽培場所から移植場所へ移動した。根がよく張っていた。》f:id:y_hamada:20170620091902j:plain

《 移植場所には一週間前から穴を掘り下準備をしておいた。》

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《 神原町に昔から生息したヤマツツジを挿し木で育て移植完了した。今後順調に成長することを期待している。いつの日が親になり、子・孫と神原のヤマツツジのDNAが引き継がれ発展することを願っている。》