82歳老いる雑感(17) 満82歳の誕生日の感慨

    昨日は、誕生日であった。特別なお祝いがあるわけがないので、淡々と満82歳を迎えた。前日、わが家のカレンダーに目をやったら「82歳」とあるではないか。意識したこともないが、そう言われてみると、「82歳か」とあらためて思った。

  普段と何ら変わらない日を過ごしたが、午前花畑の整理作業と家庭菜園の管理機による土壌改良、畝づくり、午後休養して夜はカラオケ発表会で「九頭竜川」を気持ちよく歌った。年金友の会の関係で地元の農協からお祝いのお菓子が届けられた。

1.  両親から戴いた命と身体

    「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。(孝経)」」(現代風に表現すると、わが身体は両手・両足から毛髪・皮膚に至るまで、すべて父母から戴いたものである。それを大切にすること。これが孝行の始めということである。 )、まさしくわが身体は両親から戴いたものである。身体に宿る命を大切にしたい。 

2.  歳の認識と寿命

    正直なところ、歳のことを忘れていることがある。両親とも自分の歳の頃に永眠したので、当時の親の心境もこうであったのかと偲ぶことができるようになった。

    長い人生において、若い頃元気であっても歳を重ねるにつれ、患うことがあるものだ。がんで二回手術するなど大病もしたが、元気にくらしていると、いつの間にやら、苦しんだ過去は忘却の彼方へ、ついつい、いつまでも元気にいられそうに思い、限られた寿命を意識することはなくなった。

   人の寿命は天命と言うしかない。いつの日か逝くときが来たら従容として受け入れてあの世へ行くであろう。

    両親の生きた人生を越えることができそうだ。何歳まで生きられるか、今のところ全く予想もつかない。もっと生きられそうな気がするが果たしてどうであろうか。

3.  気力・体力と体調

    自衛隊で体力気力は鍛えてきた。歳をとるにつれても、やる気はかなりあるが  、体力の衰えはよくわかり自覚している。足腰が弱くなったこと、よくつまづくことがあること、重い物を持てなくなったこと、心房のカテーテルやがん摘出後の経過観察 などあるが、ごく普通の生活をしていることに感謝している。  

4.   社会奉仕

   自衛隊退官以来、仕事をしながら地域の諸活動等役に立つことがあればと社会奉仕をやってきた。隊友会自治会・花いっぱい運動・シニアクラブ、県人会などである。人間生きている限り、可能な範囲で社会に少しでも役立つことができればとの信念のもとにやってきた。

 やれるときにやれることはやっておく、この気持ちで続けてきた。80歳になったらきっぱりとけじめをつけようとしたが、今までのしがらみで自分の勝手にはいかないのが世の習いである。ここ数年でこうした活動もトップとしての立場は整理段階に入っているので減らしつつある。静かに一会員としての役割を果たしていきたいと考えている。 

5.   やりたいこと

 これからやりたいことはいっぱいあるが、どれだけできるであろうか。今までの方向を変針して、できるだけ自分を中心としたものに切り替えることとしたい。

 人間やりたいことがあるうちが花だとよく言われる。体力・気力がどれだけ持続できるかにかかっているようだ。

 誕生日の夜は、神原町と大久保町のカラオケクラブの合同発表会に参加した。趣味のカラオケは、退官後20数年、現役時代を含めると40年以上となる。多くの仲間の歌を聴き、のびのびと楽しくカラオケを楽しんだ。

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《 5月23日夕 神原町・大久保町カラオケクラブ合同発表会 》