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航空自衛隊第1期操縦学生(53)  浜松基地航学会懇親会に参加

  4月21日(金曜日)午後7時30から浜松市中区元城町ホテル コンコルド浜松において、浜松基地航学会懇親会が開かれた。航空学生出身者で構成する浜松基地航学会の総会が行われた後、懇親会の部に特別会員のOBが招かれ出席した。OBは先輩として丁重な接遇を受けた。本当にありがたく感謝した。

 第1期生から参加者は、私一人であった。航空学生制度が発足して、62年周年を迎えることになるが、現在の学生たちにとってはどのように見えたであろうか。わたくしが特に強調したのは、航空学生出身者は航空自衛隊パイロットの80%を占め、時代を越えて航空戦力の要となっていることである。親子会員の紹介もあり、先輩の一人は息子のパイロットと一緒に出席した。まさに歴史を感じるものがあった。

 懇親会の若々しい雰囲気の中で、凛々しい若い学生に接して、高い理想と志をもって精進した青年時代を思い出した。頼もしい後輩の姿を見て、元気をもらうとともに航空自衛隊の将来は明るいものがあることを確信した。 

 4月10日には、第73期航空学生66名が防府北基地・第12飛行教育団に入隊し入隊式が行われたとのことである。若人の未来に幸あれと祈る。

1.夜の浜松城および ホテル コンコルド浜松

 ❶ 夜の浜松城

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 《 浜松といえば、出世城で名高い浜松城である。夜の浜松城はライトアップされていた。徳川家康公が、青年期の1570年(元亀元年)から駿府城に移るまでの17年間を過ごした城である。天下人・徳川家康公の原点とも言うべき城であるため、“出世城”と呼ばれている。自衛隊退官後、自動車保険慮率算定会浜松調査事務所へ勤務した折は、後遺障害担当として、浜松城近くのビルに勤務したことがあり、時折浜松城公園を散策したものだ。》

❷ ホテル コンコルド浜松

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《 浜松城公園のそばにある会場のホテルコンコルド浜松、かって宿泊や食事をしたことがある。当ホテルの客室や18階レストランからの眺めは絶景で、風情ある景色が楽しめる。印象に残るホテルである。》

2.浜松基地航学会懇親会

❶ 懇親会次第 

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《 浜松基地航学会会長の第1航空団基地業務群飛行場勤務隊長片桐浩幸氏のあいさつの後、第1期生ということで、指名されて乾杯の音頭を取った。》

❷ 特別会員の紹介 

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 《 特別会員のOBには、学生会員が各人にエスコ-トにつき、私には57期の吉村3尉が付き誠心誠意、終始世話をしていただいた。ありがとうございました。》 

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《 会員は全員、バッヂを着用した。かって航空学生連合会からいただいたバッチを胸につけて出席した。荒鷲を表し、「flying guys」である。》

❸ 転入会員の紹介

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 《 転入者の紹介が行われた。》

❹ 学生会員の紹介

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《 代表して57期吉村3尉が、操縦者として練成訓練に励み、航空自衛隊の航空戦力の中核となるべく修練に励む旨の固い決意を堂々と述べた。 》

❺ 学生会員による余興

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《 学生会員による余興の一コマ、俊敏にしてファイトあふれた青年の姿があった。》 

❻ 隊歌合唱(航空学生の歌 )

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 《 隊歌は一致団結の証、スクラムを組んで,意気高らかに、「航空学生の歌」を合唱した。歌詞も素晴らしい。創設期にはこうした「航空学生の歌」が生まれていなかった。もっぱら軍歌を歌ったものである。やはり長い歴史と営々と積み上げた伝統がそこにあった。》