1. 1,000日連続のブログ書き
ブログを始めて、1,400日を数えるようになった。毎日連続して書いた日数が1,000を超えている。よく続いたものだと思う。「1,000日」というと特別な響きが感じられるからか、次のことが思い出された。テレビの特集や満行者の書かれた「千日回峰行 (比叡山) 」であった。
ブログを続けて書くことは、荒修行と全く関係ないのにどうしただろうか。
比叡山の修行僧の「千日回峰行」という荒修行がある。荒天、雪あられ、体調の悪い日であっても、30kmの山中を山を越え谷を越えて疾走しながらお経を唱え、各所で拝礼する姿が強烈に脳裏に刻まれていたことである。
一旦修行を志したら千日続け、途中で止めることがではない掟があると言われている。常に懐に短剣を入れて、心身の闘いに打ち勝たねばならない。真剣勝負の荒修行を断念するときには命を絶つという覚悟で修行を続けるとのことである。
千日回峰行を満行した僧侶は「北嶺大行満大阿闍梨」と呼ばれ、生き仏として、信者から尊敬され、処遇されている。それだけ厳しい環境を乗り越え、かつ極限の心身の修行を体験したところから、人生の悟り、ものの見方や考え方はもとより、仏教経典の真髄を学ぶに至るであろう。「千日回峰行」の修行を終えた者に与えられる名誉であろう。
千日回峰行 (比叡山) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
「千日回峰行 (比叡山) 」とは全く関係ないが、1,000日という単位では共通点であるといえるであろう。
振り返ってみると、次のことがいえる。
❶ ブログを書くことによって、文章を綴る「書く」という事に抵抗感があまり無くなったと感じている。身構えることもなくなったが、人様に読んでいただくには恐縮することもあり、簡単には書けなくなったように思う。
❷ 日記的なものは、容易であるが、考えたこと、感じたことを表現することは難しい。現職時代のように何人もの幕僚が英知を絞って作り上げる通達・命令と異なって、自己責任で書くことの難しさを感じている。
❸ はるか昔の現職時代のことは、それなりの資料・日記・メモなどがないと書けなくなったことである。自分なりに確認してまとめると結構時間がかかるものだ。
身辺整理の一環として、ブログを書く始めたが、回想的なことは、ここ1年ぐらいで纏めたいと思っている。