老いる雑感(14) やれるときに気楽に歩くこと 

 歩くことは人間の基本、理屈は十分に分かっていても、毎日改まって実行することは容易ではない。私は自分自身に無理に目標を課したりしない。歳を重ねるごとに、三日坊主になることがあることを知っているからである。それほど強い人間ではないからだ。

 したがって、歩くことは、「やれるときにきにやる」程度にとどめている。これだと気が楽である。気負いもなくて、長続きするからだ。

 これを言葉で表すと、「悠揚自在闊達自在 融通無碍フレキシブル柔軟弾力的」ということができるであろうか。(Weblio辞書から出典)

 毎月、1日と15日は、浜松市西区神ケ谷町洞雲寺に墓参りをする。午前8時に家内と一緒に家を出て歩いて10時過ぎ帰宅した。これなど気楽な歩きである。

 洞雲寺では、本堂にお参りして墓の清掃と供花も入れ替えた。墓周り等に落ち葉があったので、ほんの少しだけ箒でかき集め清掃した。

 月2回の墓参りは、歩くことにつながるので、仏様のご加護といってよいであろう。

往復のコ-スは、その日の状況によって決めている。気楽な思い付きがよい。そこには一日何キロのノルマなどない。

f:id:y_hamada:20170301094500j:plain

f:id:y_hamada:20170301100918j:plain

 《 沿道にはいろいろな風景があり、立ち止まって眺めるのも楽しいものだ。》