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昭和の航空自衛隊の思い出(419) 東京勤務の様々な出会い(5) 各種会合への積極的な参加と交流

1. 各種会合への積極的な参加と交流

     昭和60年(1985)8月防衛庁航空幕僚監部勤務となって、在京周辺の知人との交流が飛躍的に拡大した。

    かって中部航空警戒管制団司令部・部隊の入間基地及び航空総隊司令部の府中基地で勤務した折も在京の友人達と交流を深めたものであった。 在京という地の利を得たことが一番のきっかけであったように思われる。

2.一緒に仕事をした仲間との交流

 自衛官人生も人と人との交わりである。上下・同僚の関係を問わず、一緒に仕事をした仲間との交流は、六本木の空幕勤務になってから一層緊密になっていった。とりわけ、第一線部隊及び各級司令部で一緒に仕事をした仲間や第3術科学校教官時代の教え子は、上京の機会があると空幕のわたくしのもとへ訪ねてくれた。さらに現場からの電話が一段と多くなった。

 空幕という一般部隊から見たら敷居が高くなったであろうに、そうしたことには関係なく、むしろ多くの知友が気楽に立ち寄ってくれ最新情報をもたらしてくれたことに感謝し嬉しかったものである。

 航空総隊司令部勤務時代に関わった部隊のある空曹は、大病を患い、死の一歩手前まで行ったが、関係部署と綿密な連携のもとに人事処置を行い、関係部隊の温かい配慮と療養の甲斐あって、数年後には再び戦列に復帰し、わざわざ上京して元気になった姿を見せに報告に来てくれた。

 西警団人事部長当時、離島サイトに単身赴任の隊員は、お嬢さんが不登校となり、一家離散の危機に直面したが、適切な人事処置により、円満・平穏な家庭に回復したと朗報を手紙で知らせてきた。生きた人事に多少でも手助けできたように思った。

 どの勤務地に行っても、担当者として手掛けた特異事案は、それで終わることなく、できる限り継続して状況を確認していた甲斐があったのであろうか、現場部隊の一人事の担当者の身であったが、単なる仕事で終わることなく、誠心を持って事にあたり、気にかけて励ますことに心がけたことが結実したのであろうか。嬉しいことであった。

3. CS同期会

 空幕勤務間は、第21期指揮幕僚課程(昭和47年7月~48年7月・40名)の同期生との交流は、都内で1~2回集まって懇親会を行ったように記憶している。空幕・統幕・在京部隊統に勤務しているものが集まった。入校間に1尉・3佐であったが、卒業後10年たった前後においては、部隊においては群司令、 各級司令部では班長・部長職、空幕では班長職及び課長職で活躍していた。その後、同期生の中から多くの将官が生まれた。 

4.  第23期部内幹候同期会

 昭和60年(1985)10月の土曜日、仕事を終え、夕方は新宿で部内同期生懇親会に参加した。  当時は、現在のように週休2日制ではなく、土曜日の午前は勤務であった。ただし、指定休制度があって、土曜日は交代で休みを取っていた。言うなれば週休2日制に移行する前の段階であった。

    在京及び関東周辺 部隊に勤務している第23期部内幹候の同期が集まった。既に定年退職者が出ていた。同じ一般幹部候補生課程でも、部内からの選抜の場合、受験資格からして入校時の年齢が24歳から35歳までの幅があったからである。

    年齢の開きはあったが.10カ月間一緒に教育訓練で切磋琢磨してきたので年齢差は全く感じたことはなかった。強いて言えば、体力的な面だけであった。

 部内からの選抜試験で幹部になったものばかりであり、階級、昇進に関係なく各職域の神様的な存在として活躍していた。一人一人が独立しており、一匹狼的な存在であったように思う。

 その後、在京間、同期の退官の折に送別会と同期会を開いたりした。23期生会は、組織的な活動はなかったが、熊谷の工藤哲男君が積極的に情報収集に努め、定期的に「悪友」を発行し同期の絆を深めてくれた。

5 .  春日会

❶ 正信恭行元西警団司令を囲む会

  昭和62年8月31日 新宿において、正信恭行元西部航空警戒管制団司令兼春日基地司令を囲む会を、当時春日基地に勤務した者が集まって開いた。

 正信団司令は、すでに退官され日本アビオに勤務されていたが、それだけ当時の幕僚等が集まったのは、気さくで明るく指揮統率力が優れた方であった証左であろう。当時防衛部長だった日下喜伴氏は日本電気、防衛部の右今3佐は代議士秘書に転進していたが参加した。また、当時の西警団司令部及び各群等の幕僚で勤務した面々は、空幕の各課に勤務し、それぞれが実力を発揮していた。

 当時の参加者は、3佐山口憲輔(装備部施設班長)・2佐林(防衛部防衛班員)・3佐祖川誠介(防衛部運用班員)は運用課・1尉岳川(防空管制群)・1尉稲葉(防衛部通電班員)・1佐濵田喜己(人事部長)・2佐北村善信(防衛部防衛班員 )・3佐佐々木貞良(防空管制群運用班長)・1尉吉原方人(整備補給群整備監理班員)の各氏であった。

こうしてみると司令部等の勤務者が、2~3年の間にそれぞれの分野で空幕勤務になっていることがよくわかる。 

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6.  矢田次夫元統合幕僚会議議長・海将を囲む会 

    私の出身校である倉吉東高等学校の前身、旧制倉吉中学出身で海兵75期で海上幕僚長を歴任され、第13代統合幕僚会議議長(現在の統合幕僚長)に就任された「矢田次夫元統合幕僚会議議長を囲む会 」は、強い印象が残った。

 空幕勤務間に、六本木の防衛庁に勤務していた鳥取県出身の陸海空の幹部自衛官が集まって、「 矢田次夫元統合幕僚会議議長を囲む会 」を設け親しく懇談した。とりわけ同窓の先輩であったことから熱心に話を伺った。

 矢田海将が、統幕議長在任時に、故郷の「日本海新聞」に、鳥取県出身著名人が執筆した毎週連載のコラムにも登場され、その「随想」冊子をいただいた。記念写真と一緒に冊子を保管していたがどこかに紛れ込んでいるようだ。

大正12年5月鳥取県倉吉市生まれ

昭和15(1940)年12月海軍兵学校入校(72期)

昭和18(1943)年9月海軍兵学校卒業(卒業生625人)

昭和27(1952)年月海上警備隊入隊(1等警備士)

昭和51(1976)年3月海上幕僚監部防衛部長、7月海将

昭和52(1977)年7月佐世保地方総監 

昭和54(1979)年2月自衛艦隊司令官

昭和55(1980)年2月第13代海上幕僚長

昭和56(1981)年2月:第13代統合幕僚会議議長。

昭和58(1983)年3月退官、三菱重工業顧問等

平成24(2012)4月24日死去(享年88)