昭和の航空自衛隊の思い出(411) 空幕人事課人事第2班長職の総括(1)

1. 空幕人事課人事第2班長職の位置づけ

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《 昭和時代、空幕人事第2班の事務室においての執務 》

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 《昭和の時代、左から、事務官安斎敬子、人事第2班長1佐濵田喜己、2佐桒原主税、准尉染谷忍、1曹髙橋栄二、2曹福田文紀、事務官山下道朗、事務官大堀健及び3佐石田敏晴 》

 

❶ 空幕人事課人事第2班長職の位置づけ

 空幕人事課は、制度・人事第1班・人事第2班・人事第3班(職員管理室)及び募集の各班から成り立っていた。人事第1班は幹部自衛官人事、人事第2班は准空尉、空曹及び空士自衛官人事、人事第3班(職員管理室)は事務官等人事を担当していた。

 各班長とも自衛官は1佐職であった。

❷ 空幕人事課人事第2班長の在職期間と職務

 自衛官人生の終盤になって、昭和60(1985)年8月 、最初にして最後の空幕勤務となった。空幕人事課勤務においては、人事第2班で1年4月総括として1佐高橋和夫班長を補佐した後、昭和61年(1986)12月5日、空幕人事課人事第2班長を命ぜられ、63年(1988)6月末まで1年7ケ月務めた。通算して空幕勤務は約3年であった。

   空幕人事課人事第2班は、班長以下8名の陣容で、航空自衛隊全般の准空尉・空曹及び空士約3万7千名の人事に関わる施策、充員・異動・昇任・昇給等の業務を担当した。私にとって、人事第2班長職は最高の栄職であり、やりがいのある職務であり、重責を担いつつ思う存分に働くことができた。

 

2.  諸準備と助走となった人事第2班総括の活動

 空幕勤務になって、人事第2班において総括を担当し、1佐高橋和夫班長の次席として、1年4月にわたって補佐する役割を与えられたことはあらゆる面で良かったと思われる。

    この期間が航空自衛隊全体の立場で、全般状況を把握、分析検討、問題点・阻害要因と対処策案をまとめるのに、実に貴重な得難い期間であったからである。

    部隊勤務及び各級司令部の人事幕僚として、准空尉、空曹及び空士に関わる人事面の諸課題については十分に承知し、それぞれの職位でその解決に努めてきたが、真剣に取り組んでいけばいくほど、最終的には大きな壁にぶつかり、抜本的・長期的・継続的な施策が求められることを痛感した。そのためには空幕レベルによる強力な人事施策や統一した人事管理運用が必要であることを確信したものであった。

    その総本山である空幕においては、懸案の課題の施策化するためのノウハウ、他部課・班の協調・同意・合意を得る企画力・説得力・調整力と部隊の人的戦力の充実向上に資する人事施策の立案、さらには関係上司の承認を得る実行力を必要としていた。

   

3.   空幕勤務の特質と修羅場の経験

❶   空幕勤務の特質と総括担当として学んだもの

    空幕勤務が全くなかった私が、まず最初に空幕人事課勤務で人事第2班に配置され総括担当となったことは当然すぎるほどの人事であった。また、この配置は、多少ゆとりのあるポストであり、次に補職された人事第2班長の職務を効果的に遂行するための諸準備及び助走期間となったといえるほど絶妙な人事であった。

 総括担当の業務内容は、人事第2班業務の全般を把握することができる職務であった。担当職務に精励しながら、空幕内で准空尉、空曹及び空士に関わる人事諸施策について、徹底した議論と関係先との調整の上、成案に至るまでのノウハウを学んだことが一番大きな成果であった。部隊勤務では体得できないものであったからである。

❷ 中央独特の空幕勤務の特質と克服 

 空幕は、各職域の優秀者が競い、海千山千の歴戦の武者が揃った総本山である。各種施策の企画・調整・実行に至る幕僚活動はすさまじく、常に緊張感が漂い、そこで実力を発揮するにはそれなりの他を圧倒する識見技能・経験とどんな場面でも怖気ない度胸が必要であった。 

 その点では、空幕勤務をする幕僚は、優秀者が若い時代から抜擢されて空幕勤務となり、繰り返し修羅場を経験して、伸展・昇進し、班長職以上につくケースが多かった。全く空幕勤務なくして、いきなり空幕で班長職以上の職務を遂行することは難しく、班員としての経験が必須であることを痛感したものであった。

 

4.  班長在任間に取り組む方向・テーマの設定と明示 

 総括として、この間に、人事第2班の取り組むべき課題と解決の方向、優先順位は何かを明確にし、人事幕僚としての腹案を準備することができた。こうしたことから、人事第2班長の内示・発令から  昭和61年(1986)12月5日に就任するまでの短期間に、班長在任間に取り組む人事第2班の主要課題を速やかに決定し班員に明示することができた。 

2016-09-21  昭和の航空自衛隊の思い出(351) 昭和62年度における人事第2班主要課題

参照

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   その主要課題は、准空尉、空曹及び空士に関わる諸人事施策と昇任・充員・異動・人事管理を中心としたものであった。空自の准曹士人事の総本部として、空幕でしか解決できない課題に取り組むことができた。 

 

5.  空幕人事第2班長職の総括

❶  空幕人事課人事第2班長職の所感 

〇 空幕人事課人事第2班長ポストは、航空自衛隊における准空尉、空曹及び空士に関わる人事施策や人事管理の主務班長として提言・企画・実行するポストであった。1佐職班長としてその職務・権限は班所掌業業務の責任者であり、予想以上に大きいものであり、その責任の重さを感じる毎日であった。 

〇 空幕人事課人事第2班長ポストは、どちらかというと将来に向けて栄進する過程の経歴管理上のポストやさらに経験・修練する職位ではなく、着任するや即座に実務をこなし実力を発揮しなければならないポストであった。その点では、過去の経験・経歴から何ら苦労することもなく今までに培った識見技能を発揮できる補職であった。

〇 自衛官生活の最終段階の補職であり、他人の評価はともかく、思い切り航空自衛隊のために貢献できたという充実感と満足感がいっぱいであった。一幕僚ではなしえないことを、最終の段階で班長職を通じて、「思い切り活動することができた」「やれることはやった」という晴れやか、かつ、さわやかな気持ちだったことがOBとなった今日に至るまで残っている。

❷ 長年培った識見技能と策案を活かせた補職

    空幕勤務は、 航空自衛官生活30年余、50歳となっており、最終段階に近づいていた。幸いにして、昭和42年(1967).要撃管制幹部から人事幹部へ転進して以来、現場及び各級司令部において人事幕僚として、厳しく鍛えられ修練を重ねての配置であり、

長年培った識見技能と策案を活かせた補職であったことに感謝した。 

❸ 自己に課した大きな目標と役割を果たせた喜び

 自衛隊における任務は組織として遂行し果たし得るものである。人事第2班員は優秀な班員が配置されており、班長の主導のもとに担当業務を処理した。職務遂行に当たっては、思う存分に仕事ができたのは上司の指導と班員はもとより全国の人事担当者の協力があって出来たと思う。感謝あるのみである。

 振り返ってみると、総務人事幹部として四つの命題・課題を最後まで追求するとともに空幕勤務で四つの大きな仕事を果たせたことは 最高の喜びであった。

2015-04-20 昭和の航空自衛隊の思い出(131) 総務人事班長として、胸に秘めたの四つの命題

(昭和43年12月中部航空警戒管制団整備補給群の郡本部総務人事班長となった。幹部自衛官として約7年の要撃管制官、副官の勤務経験を経ての総務人事班長の配置であり、将来とも人事幹部として進むのであれば、自分なりに大きな目標を胸に秘めて取り組んでみようと思った。

   それは、今後の航空自衛隊の発展充実に対応して「総務人事業務はどうあるべきか」、「空曹の役割と活躍の場はどうしたらよいか」、「離島等の勤務者の処遇と人事管理はどうしたらよいか」及び「青年隊員の服務指導はどうしたらよいか」の四つの課題・自分に課した命題であった。) 

空幕勤務で四つの大きな仕事は次のことであった。

1. 空幕人事第2班所掌業務の見直しと充員計画の作成担当 

2.  准空尉、空曹及び空士経歴管理基準改定への参画と先任空曹制度の運用の推進

3.  准尉、空曹及び空士個人申告制度の導入と定着化、運用の推進

4.   准空尉、空曹及び空士の人事管理資料の積極的な提供と人事業務の改善向上

次号から逐次、各項について述べることとする。