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昭和の航空自衛隊の思い出(408) 昭和52~63年における術科教育本部の人事部長・人事班長

1.   各級司令部人事幕僚としての活動と主要部隊の人事担当者との交流時代

    昭和50(1975)~63(1988)年代は、私が人事幕僚として最も活動できた時代であった。指揮官の意図を体しながら積極的かつ果敢に職務に取り組んだ時代であったからです。階級は3佐から1佐の間で、自衛官生活で最も輝いていた時代ともいえよう。

 昭和43年8月要撃管制幹部から転進して、人事幹部課程を修了し、警戒管制団整備補給群の総務人事班長、次いで基地業務群の人事班長、教導高射隊総務班長となった。その後、指揮幕僚課程を卒業し、昭和48年7月から各級司令部の人事幕僚として勤務するようになった。

 各級司令部、わけても航空総隊司令部及び西部航空方面隊司令部では作戦部隊の人事幕僚、航空幕僚監部においては、人事第2班長として、航空自衛隊の准空尉・空曹及び空士に関わる人事施策及人事管理の運用を担当したことから全国の人事担当幹部及び空曹と面識を持つようになり意思疎通や連絡調整が緊密になった。 

 こうした点から当時のメモをもとに、昭和52年から63年における方面隊ごと航空団・警戒団等主要部隊の自衛官人事を担当した人事部長及び人事班長をまとめてみた。

   昭和の52年から63年は、平成時代に至る空自の昭和時代の最終期にあたり、10年間の限られた年数ではあるが、航空自衛隊の人事部門の主要な陣容を網羅・再現することに努めた。

 ひと昔前のことであり、コツコツと確認しながら書き連ねていくうちに、当時の状況やそれぞれの方との関係がよみがえるものがあった。本当にお世話になった方ばかりとの思いを更に強くした。

 意気込みだけはあるが、当時のメモ、日記等から整理をしてみたものの、判読しがたいもの、一部欠落しているものもあり、はるか30~40数年前のことであるので抜けがあればご容赦くださるとともにご教示ください。メモに〇〇3・2佐とだけ書いてあって、該当者が複数いて特定できないものはそのままにした。

 当時は、空幕を除き各級司令部は、部・班の編制で今日のように部・課・班の編制ではなかった。

 

2. 昭和52~63年におけるにおける術科教育本部 ・術科学校の人事部長・人事班長   

◼️術科教育本部 (浜松南基地)

*平成元年3月浜松南基地・浜松北基地を統合、「浜松基地」となる。平成元年3月飛行教育集団司令部及び術科教育本部廃止され、航空教育集団が新編された。

〇人事部長

1佐小西信安(陸59)→1佐不破奠(海75)→1佐山田昇 (陸外5)→1佐山沖和人(62)→1佐木通博行(外3)→1佐江口勝(外7)→1佐和泉光保(外21) 

〇人事班長

 2佐宅美志郎(外37)→2佐宮村純(外25)→2佐吉岡元(防10)→  

 2佐山下恒吉(外31) 

🔵第1術科学校 (浜松南基地)

〇人事班長

 2佐宮村純(外25)→ 3佐山下恒吉(外31)→ 3佐杉山夫(内32)→ 

  3佐松下勝美(外37) 

🔵第2術科学校  (浜松南基地)

〇人事班長

 3佐新宅規宏(外49)→3佐田中徹二(外28)→3佐藤久賀民雄(内47)→

 3佐光永康人(内23)

 

🔵第3術科学校  (芦屋基地

〇人事班長 

 3佐藤本賢一(内8)→2佐深澤信一(外31)→3佐松原泰弘(内38)→

  3佐和田重信(内35)

🔵第4術科学校  (熊谷基地 

〇人事班長

 3佐吉田穣(外18)→3佐小西友彦(外28)→3佐寺崎武士(外28)→

 1尉西山健一(内47) 

🔵第5術科学校  (小牧基地

〇人事班長

  3佐山口映(内32)→3佐和田重信(内35)→3佐光永康人(内23)→

  3佐新井孝英(内19)

 

航空自衛隊の編成

❶ 昭和50年3月末現在

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   《 航空自衛隊20年表から出典》

❷ 昭和62年3月末現在

 

        《 防衛白書出典 》