元自衛官の時想(10)  元号と「大東亜戦争」と「太平洋戦争」の呼称

1.  元号と戦争の呼称についての思いとこだわり

   私は、自衛官現職時代はもとよりOBになってからも、年号と戦争の呼称は、日本及び日本人の立場で主用することにしている。最近のメディアの傾向を見ると、時代を元号で表記しないで、西暦に元号を併記しているところが多いようだ。

  日本には元号が古来からあり、近代では明治、大正、昭和、平成と命名されてきた。昭和54年には元号法が制定された。私は日本国民である限り、時代の呼称は元号を中心にしていきたいと思っている。したがって、当たり前のことではあるが.3年前から始めたブログでも終始一貫してその考えを通している。

    基本的には元号をもって表記することにしているが、最近になって、読む人の便利性に配慮して、元号に西暦年をカギかっこで付け加えるようにしている。

 そこには、自分の生まれ育った日本を誇りにし大事にしたいという思いと、自国と自らの主体性を堅持したいという考え方に立っているからである。主義・主張や戦争の是非・善悪とは関係ないものである。

    ややもすると、当たり前のことが当たり前でなくなっていく風潮に断固として気骨・節操を貫き通したいととする信念からくるものであろうか。祝日における家庭での国旗の掲揚と同じ考えに基づいている。

2.戦争の呼称「大東亜戦争」と「太平洋戦争」
 戦争の名称は、古今東西、時代を超えてどこの国でも、自国の政府の決めた呼称を使っている。したがって、それぞれ自国の立場からの呼称であって良い。当たり前のことであろう。

 したがって、日本は「大東亜戦争」であり、米国等からすればも「太平洋戦争」である。同じ戦争を指した名称であるが当然である。

 昭和16(1941)年12月8日に行われた真珠湾攻撃の宣戦布告の後、当時の日本政府は閣議決定でこの戦争を「大東亜戦争」と命名した。敗戦後GHQによりこの戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことが禁止され、代わりに「太平洋戦争」の名称を使うように強制された。

    戦勝国連合軍の占領下では、憲法を始め日本の政治・経済・教育等の大改革が行われ、新聞等は検閲され「大東亜戦争」という名称は封印されたのである。

 講和条約締結後は、日本の主権が回復したが、徹底した日本解体の影響は大きく、ドイツと比較すると、いまだに立ち直っていない面があるように思われる。自主憲法しかり、軍事面で見ると、戦没者慰霊式等でも、さきの「大東亜戦争」というべきところをいまだ「さきの大戦」と表現していることなどを挙げることができる。いわばぼやかしてあり、それを良しとして今日に至っているが、はたしてどうであろうか。

 すべからく、他人に強要せず、周りに迷惑をかけないで、自分の信念や信条は貫き通して人生を終えたいと思っている。