昭和30(1955)年6月2日、航空自衛隊第1操縦学生が入隊した。それから62年の歳月が経とうとしている。 第1期操縦学生出身者は、すでに80~81歳となり、多くの同期生がすでに鬼籍に入っている。
今回は、昭和30(1955)年6月に防府基地(防府南基地となる。)に所在した幹部学校ヘ入隊(課程中途で幹部候補生学校所属となる。)し、操縦学生基本課程を学んだ防府南基地に建立した「第1期操縦学生記念碑」と「第1期操縦学生記念植樹」について触れることにする。
1.第1期操縦学生会の活動
顧みるに、昭和29年(1954)7月航空自衛隊が発足し、昭和30年(1955)6月、高校卒業者を対象としたパイロット・幹部養成の募集に応じて挑戦し、約200名の若人が山口県防府の地にはせ参じ航空自衛隊第1期操縦学生として入隊した。
約10か月の基本課程を修了して英語、操縦課程に進み、本格的に操縦訓練に励んだ。幾多の難関を突破してジェットパイロットになって航空戦力の中核となる中で、民間航空へ一部は転進していった。また、夢破れて、操縦以外の分野に進んだり、民間へ新天地を求める者もいた。
「操学1期」は、操縦者を中心に、進んだ道は異なれども航空自衛隊、民間航空及び民間会社等で時代を背負い大いにその役割を果たした。
若き青春時代に、大空への夢を語り合った同期生が10年後には、第1期操縦学生会を発足した。以来、10年毎の節目、毎年の同期生会を開いてきたが、平成27(2015)年6月、入隊60周年にして、全国的・組織的な同期生会は、この年の浜松における大会を最後に活動を閉じ、各地分散型同期生会に移行した。
2 第1期操縦学生の記念植樹 と記念碑の経緯
昭和60(1985)6月1日~2日、第1期操縦学生会は、入隊30周年記念大会を防府で実施し、入隊した防府南基地に記念の印を残しておきたいとの思いで本部庁舎近くの一角に「第1期操縦学生入隊30周年記念植樹」を行った。
10年の歳月を経て、平成7(1995)年6月再び防府の地を訪れ、「第1期操縦学生入隊40周年記念行事」に際し、満を満たす如く同期生一同が期せずして「30周年記念植樹」に隣接して記念碑を建立しょうとの気運が一気に高まり、ときの同期生会長打井亮吉君が中心となって調査検討し、防府市在住の岡西晃嗣君がその大任にあたった。
岡西晃嗣君は、早い時期に操縦コ-スから外れたが、その後、民間へ転進し、防府市内で喫茶店を開業し商業界で活躍した。同期生会には必ず出席するといった、世話好きで、いつも明るくにこにこしている素晴らしい人物であった。
大任を背負った岡西晃嗣君は、積極進取にして実行力に富み、基地及び業者等との緊密な連絡調整を果たし、ついに同年10月に建立する運びとなった。
当時の写真と図面は会長の打井君を通じて私のもとへ送られてきたものである。打井君の手紙には岡西君の奮闘努力の成果である旨が記されていた。岡西君は惜しまれながら平成23年静かに永眠された。謹んでご冥福を祈ります。
3.第1期操縦学生の記念植樹 と記念碑の現状
平成28(2016)年8月、航空学生連合会本部の総務委員を担当された赤川俊介3佐から最後の会長を務めた小林誠君のもとに防府南基地における第1期操縦学生の記念植樹 と記念碑の様子を示す写真が送られてきました。記念碑の隣の樹木が記念植樹したものでしょうか。
この写真を通じて、はるか昔の記念植樹 と記念碑が今日も堂々と存在していることを確認し、後輩の暖かい心遣いに感謝したものです。防府南基地司令並びに関係の皆様にはお世話をかけますが、末永く第1期操縦学生の記念樹木 と記念碑が存在することを願ってやみません。
防府南基地の皆様並びに航空学生の後輩の皆様には、防府南基地の一角に航空自衛隊の歴史を刻んだ第1期操縦学生の心意気を示した記念植樹 と記念碑が静かに航空自衛隊の発展と隊員の皆様のご活躍を見守っております。よろしくお願い申し上げます。
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❶ 平成7(1995)年10月における第1期操縦学生記念碑
《 平成7(1995)年10月20日撮影の第1期操縦学生入隊30周年記念碑の写真と図面、当時の同期生会長打井亮吉君が中心となって調査検討し、防府市在住の岡西君がその任に当たった。世話好きな岡西君の積極進取にして実行力に富んだ基地及び業者等との緊密な連絡調整により、同年10月に記念植樹の隣に建立されたものである。石碑は、入隊30周年の記念植樹に合わせて、前面を入隊30周年とし、後面を建立の40周年としたように思われる。 》
❷ 平成28(2016)年8月における第1期操縦学生記念碑と記念植樹の様子
《 建立当時から20数年の歳月を経ているが、記念碑が堂々と鎮座している様子に安心したものです。あたり周辺には各種の入隊期の記念碑が建てられていたように記憶しています。航空学生連合会本部の総務委員を担当された赤川俊介3佐には、防府南基地における第1期操縦学生の記念植樹 と記念碑の様子を示す写真を送ってくださりありがとうございました。昭和60(1985)年6月における入隊30周年の記念植樹の樹木や周りの樹木もそれなりに年季が入ったように見えました。関係の皆様に「第1期操縦学生記念碑」の存在を知っていただく機会となりました。重ねて御礼申し上げます。》
4. 入隊65周年か70周年の第1操縦学生誕生の地めぐりの旅
第1操縦学生会は、すでに組織的な活動を終えて、各地活動型に移行しているが、第1期操縦学生の同期有志が、 65周年か70年周年に、防府南基地の記念碑と防府北基地の航空学生顕彰館を中心とした「第1操縦学生誕生の地めぐりの旅」に出かけることができればと思うことがある。
どんな形で実施出来るかはその時にならないとわからないが、85歳、90歳前後になったとき、操学1期の健在有志が防府の地に参集出来ればと抱く遠大な夢である。
●防府南基地は、産業都市である人口約12万人の防府市南西部に位置しており、基地近傍には、各種産業工場などのほか、防府天満宮や旧毛利庭園などの観光名勝をはじめ、海や山もあり、文化と自然にも恵まれた環境にあります。また、防府北基地も近隣にあり、飛行訓練等を行っています。 ●航空教育隊は、新たに採用された隊員等に対して,必要な教育や研究を行う部隊であり、防府南基地のほか、埼玉県熊谷市にある熊谷基地においても同様の教育等を行っています。 |
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①献身碑 防府南基地の献身碑は昭和34年、作業中の事故によりに 2名の隊員が殉職したことを受け、昭和38年に建立されました。防府南基地では基地発足以来6名の隊員が殉職されており、毎年慰霊行事を執り行っています。 |
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②甲飛防通記念碑 防府南基地は昭和18年から終戦までの間、旧海軍防府通信学校として、当時の海軍飛行予科練習生の教育が行われていました。 この記念碑は、当時基地に所属していた甲種飛行予科練習生(甲飛防通会)の皆様から寄贈されたもので、防府南基地の「巣立ちの森」に設置されています。 |
航空教育隊の任務等 |
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新たに採用された航空自衛隊の自衛官候補生及び一般空曹候補生に対し、基礎的な知識・技能を修得させるための教育訓練を、防府南基地に所在する第1教育群及び熊谷基地に所在する第2教育群が担当し行っています。 空曹予定者に指定された航空自衛官及び新たに空曹として採用された航空自衛官(公募空曹)に対し、必要な知識・技能を修得させるための教育訓練を、空曹予定者は、第1教育群及び第2教育群が担当し公募空曹は第1教育群が担当して行っています 1等空曹に昇任した航空自衛官に対し、必要な知識・技能を修得させるための教育訓練を第2教育群が担当して行っています。 ※なお、女性自衛官(自衛官候補生、一般空曹候補生、及び空曹予定者)に対する教育訓練は防府南基地で行っています。 |
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注:防府南基地についてホ-ムぺ-ジで調べたところ、基地創設期を知るOBの立場からみて「基地の沿革」について、記述が少なく、創設期に幹部学校操縦学生隊等が設置された記述がなく残念な気がしました。航空教育隊の発祥の地であると同時に第1期操縦学生等が巣立った地であることがどこにも記されていないことが気にかかりました。いつの日が本項の「基地紹介」の部分を差し替える日が来ることを願っています。