昭和の航空自衛隊の思い出(393) 昭和62年改正の准空尉、空曹及び空士自衛官経歴管理基準(11)・定年前管理・異動・配置

1. 昭和62年改正の准空尉、空曹及び空士自衛官経歴管理基準・ ダイジェスト版について

    昭和62年(1987)3月に、航空幕僚長から通達された経歴管理基準をいかに具現化し、有効に運用するかは実人員を担当する空幕人事第2班の役目であった。

     単なる通達でなく、そこに命を宿させ、准空尉、空曹及び空士自衛官の経歴管理のねらいと基準を定着させるように、特に各級指揮官及び准空尉及び空曹に周知徹底することに努めた。

    そのためにはどのような手段方法があるか検討した結果、硬い通達文面のみではなく、要点とポンチ絵的なものを入れたりして視覚に訴えることに着目して、関心と理解を容易にしようとの考えから、航空自衛隊で屈指のマンガが得意の山本茂雄1佐にお願いしてイラストを描いていただいた。

    当時、マンガは時代の流行として定着しており、班員が知恵を絞って編集したものである。今まで通達の趣旨、内容をダイジェスト版として、これほどイラストを取り入れたものはなかったので画期的なことであった。   

 初任空曹長集合教育での配布はもとより、全国の編制単位部隊以下まで配布し、隊員が身近に手にすることができるように努めた。この種のもので、これほど多くの隊員に読まれたものはなかったと自負している。     

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  《  昭和62年改正の准空尉、空曹及び空士自衛官経歴管理基準・ ダイジェスト版の表紙、このイラストは実によく経歴管理のねらいを表しており、あらゆる場所での説明・講話で使わせてもらった。》

 

2.昭和62年改正の准空尉、空曹及び空士自衛官経歴管理基準・ ダイジェスト版(11)・定年前管理・異動・配置

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3.30年後の所感

 ❶ 定年前の管理・異動・配置

    准空尉及び空曹の定年前の管理・異動・配置は、本基準による他「定年に達する准空尉及び空曹の人事り扱いについて」の通達によって処理されていた。

 自衛官の若年定年制は、一般職の公務員と比べ他に類を見ない特別な制度といえる。階級によって定年の年齢が定められており、自衛隊の最強性の保持から創設期から今日においても若年定年制が堅持されている。

   現在は、昭和の時代からすると、国民の平均寿命の大幅な伸長、人的資源の活用などから少し定年が伸びたが、基本的な若年制にいささかの変更がなかった。

   当時、定年者の大量発生に備えて、定年前のきめ細かな人事管理が求められていた。

   昭和時代においても、世間一般では、自衛官の定年年齢を聞いて発する言葉は、異口同音に「どうしてこんなに若くて退職しなくはならないのか」との素朴な質問であった。その理由を説明すると、大抵の人が、自衛隊の若年定年制を理解したと返事しながら、それでもなんだか分かったようでわからないような顔をされる方が多かったことを覚えている。これが一般庶民の理解であろう。

   隊員自身は、自衛官の若年定年制については、入隊時から承知していることであって、淡々としてしして受け止めている。 定年退職の最後の最後まで緊張感をもって勤務している。これが隊員の姿である。

❷   定年退職者の就職援護

    現職において発揮した意欲と体力気力、資質・能力の発揮と経済的な安定は、退官後どうなるのか、現職隊員で定年前の隊員の関心のある事柄である。特に、退官した先輩たちが就職・生活面で、どのような状況にあるかは、一緒に苦労を共にした先輩たちの退職後の様子を見聞し、自分の姿として鏡に映すことになるからである。

     こうした観点からも、定年退職者の就職援護は極めて重要であった。今日は、定年退職者に関わる人事施策が強力に推進されている。防衛省航空自衛隊ホームページなどによると空幕における援護担当課から各基地の援護室に至るまで国家としての援護施策が推進されていると理解している。

 定年退官に伴う行事

 定年時の部隊における行事などは、どこでも同じようであるが朝礼等で部隊長等が紹介し、本人も一言挨拶をし、全員の見送りを受けるのが通例である。

 また、有志一同が発起人になって、定年退官夫妻を招いて心のこもった退官パ-ティが行われている。私も在隊間、先輩・同僚・仲間の退官パ-ティには万難を排して数多く出席した。お世話になった先輩たちに直接御礼の言葉を申し上げたかったからである。いずれも印象に残る退官パ-ティばかりであった。   

 ❹   自衛官の定年退職日    

    当時、諸官庁や自衛隊でも事務官等の定年退職日は、年度末の3月31日であった。

    自衛官の定年退職日は、自分の誕生日であった。誕生日は自衛隊生活最後の日であり、文字どおり新たなる人生の出発日でもあった。

   当時のメモによると、定年に達する准空尉及び空曹の人事取り扱いは、おおむね2佐以下の自衛官と同じように取り扱われていたと記憶している。

 付発令の要領のほか退職手当法上の勧奨退職が定められたいた。准空尉及び空曹の勧奨退職については、制度的にはあったが、実際の事例は従前皆無であったように記憶している。

   空幕人事第2班長在任間、空曹長の勧奨退職事案を内局と調整し了解を取り付けたことがメモに記されていた。准空尉及び空曹の勧奨退職は、1件だけであったように覚えている。

 1佐以上の自衛官については、勧奨退職は頻繁に行われていた。上級幹部の異動は、主要指揮官職の補職と連動しており、組織上の要求、期別管理、経歴管理等から後進に道を譲る形で勧奨退職が進められていた。

 勧奨退職は、定年の誕生日を待たず退職することから、定年退職と同じ処遇で人事処理されていた。 

❺ 昭和50年の准空尉、空曹及び空士自衛官経歴管理基準

 空幕人事第2班長在任間のメモ、日記帳を整理・確認していたら、昭和62年改正のもとになった「准空尉、空曹及び空士自衛官経歴管理基準」は昭和50年5月に通達されており、航空自衛隊報第63号に掲載されていることが記されていた。