1. 昭和62年改正の准空尉、空曹及び空士自衛官経歴管理基準・ ダイジェスト版について
昭和62年(1987)3月に、航空幕僚長から通達された経歴管理基準をいかに具現化し、有効に運用するかは実人員を担当する空幕人事第2班の役目であった。
単なる通達でなく、そこに命を宿させ、准空尉、空曹及び空士自衛官の経歴管理のねらいと基準を定着させるように、特に各級指揮官及び准空尉及び空曹に周知徹底することに努めた。
そのためにはどのような手段方法があるか検討した結果、硬い通達文面のみではなく、要点とポンチ絵的なものを入れたりして視覚に訴えることに着目して、関心と理解を容易にしようとの考えから、航空自衛隊で屈指のマンガが得意の山本茂雄1佐にお願いしてイラストを描いていただいた。
当時、マンガは時代の流行として定着しており、班員が知恵を絞って編集したものである。今まで通達の趣旨、内容をダイジェスト版として、これほどイラストを取り入れたものはなかったので画期的なことであった。
初任空曹長集合教育での配布はもとより、全国の編制単位部隊以下まで配布し、隊員が身近に手にすることができるように努めた。この種のもので、これほど多くの隊員に読まれたものはなかったと自負している。
《 昭和62年改正の准空尉、空曹及び空士自衛官経歴管理基準・ ダイジェスト版の表紙、このイラストは実によく経歴管理のねらいを表しており、あらゆる場所での説明・講話で使わせてもらった。》
2.昭和62年改正の准空尉、空曹及び空士自衛官経歴管理基準・ ダイジェスト版
(8)・入校等
別図第3
3.30年後の所感
入校等
❶ 入校と人材育成
自衛隊ほど教育訓練体制が整っているところはないと言っても過言ではない。航空自衛隊では、入隊時の新隊員教育から始まり、術科学校で初級の特技教育をしっかり受けて部隊に配置される。
部隊では実務訓練を行い、特技のレベルと階級が上がるにつれて、再び術科学校の上級課程に学び識見技能を磨くことになる。
昭和50年代から上級空曹教育の重要性が叫ばれ、具体策が取り入れられるようになった。私も第3術科学校第4科長当時、要務特修課程の教育を担当した。また、学校における上級空曹講習を研究検討し、講習を企画・実施したことがあった。
飛行教育集団司令部人事班長及び西部航空警戒管制団司令部人事部長当時、准空尉及び空曹の昇任者教育に特に意をそそいだ。空幕人事第2班長になつてから、空曹長集合教育に講師として、積極的に参加することにしていた。
民間の企業でも社員の教育へ投資するところ、教育訓練のしっかりした会社は繁栄することは周知の通りである。
経歴管理において、隊員の入校は実に重要な要素であった。62年度改正のの経歴管理基準において、各課程教育の成績を昇任選考要素とすることが明記された。
私の知る限り、従前から選考要素として加味されていたように覚えているが、統一されたものはなかった。教育成果が確実に昇任選考に反映されるようになった。大きな前進であった。
❷ 人材育成おける教官
教育は、教官の人材育成に対する情熱と教え方、優れた知識技能と豊富な実務経験によつて教育の成果に差がでてくる。
したがって、准空尉及び空曹教官の人選と配置は極めて重要であり、計画的な 教官交流の必要性がここにあった。術科教育は、幹部、准空尉及び空曹教官の連携によって成果を上げることができる。組織は人であり、教育もまた人であった。
また、別の視点から見ると、術科教育の充実発展に大きな影響を与えることの一つに、職域・特技職の教官を束ねる科長の幹部補職は当該職域の充実発展を左右するポストであったことである。術科教育をどれだけ重視しているかの指標の一つであった。
具体的には、科長職に当該職域の優秀かつ新進気鋭のCS卒業者等を3回には1回程度は配置して、課程教育内容の見直し、当該職域教育への中央部の心意気を形で示すことが課程教育の充実につながっていくことになることを見聞し強調した。
入校等を含めて人事管理は、常に精強な部隊と隊員づくりの根幹をなすものであったからである.。