山門の人生の教示  一年間の心も塵もおおはらい

1.一年間の心も塵もおおはらい

 浜松市西区神ケ谷町の洞雲寺山門の掲示は、「一年間のおおはらい心も塵もおおはらい」「澄み渡る師走の月や寺の上」である。

   ここでは、神道でいうところの「大祓」ではなく、絵に見るごとく、師走の月を迎えて、一年間にたまった心とチリをきれいにして新年を迎えようと、ごく一般的に理解したがどうであろうか。

 年末になると、人の心も身辺も、さらには玄関や部屋、ガラス窓もきれいにしたくなるものである。 師走の月は、人の心に一年の締めくくりをしたいとするものを呼び込むものがあるようだ。

 一年は1月の始まりがあって12月の終わりがある。けじめをつける良い機会が与えられる。よく考えてみると味わい深いものがある。 

 

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《 洞雲寺山門の掲示 》

 

2.大祓

神社本庁のホ-ムぺ-ジによると、次の通りの解説であった。

 「大祓は、我々日本人の伝統的な考え方に基づくもので、常に清らかな気持ちで日々の生活にいそしむよう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。

 この行事は、記紀神話に見られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)を起源とし、宮中においても、古くから大祓がおこなわれてきました。中世以降、各神社で年中行事の一つとして普及し、現在では多くの神社の恒例式となっています。

 年に二度おこなわれ、六月の大祓を夏越(なごし)の祓と呼びます。大祓詞を唱え、人形(ひとがた・人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前に立てて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。また、十二月の大祓は年越の祓とも呼ばれ、新たな年を迎えるために心身を清める祓いです。

 私たちにとって、その年々の節目におこなわれる大祓は、罪や穢れを祓うとともに、自らを振り返るための機会としても、必要なことではないでしょうか。

《 神社本庁のホ-ムぺ-ジ出典 》