昭和の航空自衛隊の思い出(377) 各基地訪問における人事担当者との懇談

1.   主要部隊人事関係者との交流と各基地訪問時時の人事担当者との懇談  

❶   人事関係者との交流の拡大

   要撃管制幹部から転進し、人事幹部として、昭和43年8月人事幹部課程を修学した。人事幹部学生の同期をはじめとして、部隊及び各級司令部勤務を通じて人事幹部及び空曹との交流範囲が逐次拡大していった。

    特に、昭和48年7月、指揮幕僚課程を卒業した後は人事関係の尊敬する大先輩との交流が急速に深まり忌憚なく助言指導をいただく機会が多くなってきた。

    さらに作戦部隊の西部航空方面隊司令部・航空総隊司令部、飛行教育集団司令部などの主要な上級司令部勤務をするにつれて、階級・職位と経験を積んで、隷下部隊及び関連部隊の人事関係者との関係が一層強まり、幅広い人脈と信頼関係を築いていった。

    昭和56年8月、第3術科学校において1年6月、人事・総務・要務・教育技術の課程教育を担当したことから俗にいう「教え子」が多数全国の部隊等に勤務していた。

    従って、空幕人事第2班長に補職された時点では、全国の部隊・機関の人事担当者を承知している状況にあった。又、群レベルの人事担当者の多くと面識を持つことになった。

❷   各基地における人事担当者との懇親

 こうしたことから、各主要基地訪問に際しては、人事関係者との懇親の場が設けられた。旧交を温めると同時に人事担当者相互のきずなを確かなものにしたものであった。自由な意見交換から准空尉・空曹及び空士に関する人事施策・人事管理などの具体的な改善意見やヒントを得るものもあった。 

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《 昭和62年7月  三沢基地人事担当者との懇親会 》 

 

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《 昭和62年11月 熊谷基地人事担当者との懇親会 》

2.空幕人事課人事第2班長在任間における部隊・機関の人事担当者 

   平成61年(1966)12月、空幕人事課人事第2班長に補職され、63年(1988)6月末まで務めた。空幕人事課人事第2班は、班長以下8名の陣容で、航空自衛隊全般の准空尉・空曹及び空士約3万7千名の人事に関わる施策、充員・異動・昇任・昇給等の業務を担当した。

 各種異動交流など准曹士人事の特性から、特に人事班長及び担当人事幹部及び空曹を知る機会が多かった。

    当時のメモによると、部隊・機関における人事担当者はつぎのとおりであった。

    昭和60年代初期における人事幹部の顔ぶれ

を見ると、当時のことが思い出される。どの職務・職域もそうであるが、基本的に真面目で真剣に職務に取り組むタイプが多かったように記憶している。

❶.昭和61年(1986)12月における部隊・機関における人事担当者 

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❷.昭和62年(1987)4月における部隊・機関における人事担当者

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《 昭和62年4月における部隊・機関における人事担当者 》

 

❸ 昭和63年(1988)4月における部隊・機関における人事担当者

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 《 昭和63年4月における部隊・機関における人事担当者 》