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浜ちゃん日記 小学1年生とのふれあいとの給食探訪記

1.小学1年生とのふれあい

   10月26日、神久呂恊働センター主催のふれあい大学で、神久呂小学校1年生とのふれあい会・昼食会に24名が参加した。4クラスに分かれ児童の歓迎の歌とピアニカ合奏があり、一緒にゲームした後、食事して最近の子供たちや学校給食などの状況を知ることができた。

    子供たちにとっても、少子化社会、世代の異なる同居家庭の減少に伴って、高齢のおじいさん・おばあさんと触れ合うことは少なくなっていると思われるが、当地区はまだまだその点では恵まれているように感じた。    

     こうした催しには積極的に長年参加してきた。個人としての参加は難しいが、ふれあい大学という学習の一つとして設けられるとまたとない良い機会である。地域に密着した素晴らしい学習事業といえよう。

2.戦前戦後の食糧事情と学校給食

     私の小学生の頃は学校給食なるものはなかった。 昭和17年(1942)4月鳥取県東伯郡宇野の小学校入学し、23年(1948)3月卒業した。大東亜戦争の始まった翌年から敗戦後3年であった。

    当然、今のような給食制度は全くなく、集落の小学校においては、正午の1時間は、各人が家に帰って食事をしてまた学校に来ることであった。祝日には紅白のお祝いのまんじゅうなどが配られおいしかったことを覚えている。

    食糧事情は、農家であったから、贅沢しなければ何とか食べることはできた。戦争中はサツマイモを供出したりした。戦後はどこも不自由し、物々交換の時代がしばらく続いた。

     敗戦直後は、日本全体が食糧難であったことから、連合国占領軍、国際の食糧機構から、学校で肝油の配給があったことを覚えている。

3.今日の学校給食

 児童は、給食当番が決まっており、白い衣服とマスクをつけて作業を手際よくこなしていた。手を合わせて全員が「いただきます」「こちそうさまでした」を唱和する様子を見て、給食は学校教育そのもの一部であることを理解した。 

 担任の先生は大変であるが、学校生活の一部分として、児童の役割り分担など給食と学校教育がうまく機能していることを確認することができた。自分の役割を果たす一方楽しく食べることは社会生活の基本であるからだ。

    配食の仕方など手順も合理的で、小学1年生でしっかりとこなしていた。食べ終わる時間も早い遅いの差はあるが、少し遅れる子もあるようだ。

     好き嫌いや遅い子も学年が進むにつれて普通になっていくであろう。いろいろな面で差があることは人間の特性でもあるからだ。 

     学校給食が、青少年の身体の発育や集団生活に資する面はかなり重要とみた。

4.学校と地域とのつながり

    わが国の初等教育明治維新後の教育制度の確立と戦後の教育制度のたびかさなる改革によって充実発展してきた。子供の教育は国力・基礎学力・体力・社会生活の向上などと密接な関係にある。

   私の育った時代と違い、 今日の学校教育では、地域との関係がいろいろな教科の中で取り上げられるようになった。地域の歴史・伝統文化・地域の生産、消費経済活動をはじめ地域の諸活動など身近な事柄を学ぶ機会があることは良いことだ。

     自分たちの時代は、農繁期には休みがあり、親の農作業を一緒に手伝いをしながら家庭生活の中で、こうしたことを学んでいった点が大きな違いであるように思える。うまく学校と家庭を結びつけていたように思える。

    今日午前は、小学2年生が地域社会の探訪で、神原町花の会の管理する花畑を見学に7名のグループが来る。私はシニアクラブの行事で不在となるため、鈴木副代表ほか2名が対応するので質問事項への返事内容など打合せ諸準備をした。

     青少年健全育成会など地域をあげて、子供達を良い子に育てる活動が進められている。学校教育に地域との共存共栄がしっかりと根付いている。 

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 《 一緒にいただいた給食 》