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昭和の航空自衛隊の思い出(364) 東京勤務の様々な出会い(3) 羽合中学同級会

1.  各種会合への積極的な参加    

    昭和60年(1985)8月防衛庁航空幕僚監部勤務となって、在京周辺の知人との交流が飛躍的に拡大した。

    かって中部航空警戒管制団司令部・部隊の入間基地及び航空総隊司令部の府中基地で勤務した折も在京の友人達と交流を深めたものであった。 

     休日には、新幹線を利用して、大阪で行われた中学同級会にも参加した。

 

2.   自衛隊勤務・自衛官の誇りと積極的な諸交流

 昭和30年(1955)1月陸上自衛隊、6月航空自衛隊に入隊してから自衛隊という社会ににとどまらず、積極的に同窓会・同級会に参加してきた。いつの時代もその根底には自衛隊勤務と自衛官の職務を誇りにしていたことにあった。

 昭和の20~30年代に一部の連中から税金泥棒呼ばわりされる時代であっても、世界を見渡してみて、国家の成り立ちは異なっても、すべての国において国家・国民を守る国軍・軍隊は存在しており、必要不可欠なものであるとの考えを堅持し、どんな場所に行ってもいささかもたじろぐことはなかった。

 この考えや信念は、入隊後隊内で特別な教育を受けたりしてそうなったのではなく、厳しい環境で自己の職務を遂行しているうちに形成されたものであった。

 そうした考えで、若い時代から機会があれば、積極的に自衛隊以外の社会・集団等における人々との交流を重視し、自己の練磨を図ることに努めた。

 

3.   羽合中学同級会

 こうしたことから小学校・中学校・高校の同級会は、その時の勤務地・勤務の関係で参加が不能な時を除いて、出来る限り参加することにしていた。

    とりわけ、中学では1年の後半から3年卒業まで、学級委員長と野球部の捕手をしていたことから、参加者の全員を知っており、誰とでも話が合ったのを覚えている。

 昭和62年5月連休時において、郷里羽合中学の同級会が、大阪で開かれると案内を受け取つた。空幕人事第2班長の職務にあり、多忙であったが、新幹線を利用して日帰りが可能であったことから喜々として参加したものであった。    

   班長職は、班の指揮統率であり、施策等の方向の明示と指導であったから、担当幕僚業務のような忙しさはなかった。肉体的にも精神的に常に余裕を持って業務に対処していた。

 同級会は、ひとたび会えば、小学・中学時代にかえり、子供の頃が思い出された。当時、50歳を過ぎた頃であり、自分の人生の行く末が見えてきた年代であった。

* 羽合中学の思い出は、y-hamadaのブログ「こころのふるさと」に記した。  

 

❶ 案内状

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《 当時の案内状の世話人を見ると、倉光英明・志満政男・浜崎延博・山崎親志・朝倉佐美子・大石多喜代・尾崎郁代さんが名前を連ねていた。 》

 

❷ 羽合中学第4回生大阪同級会 

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 《 羽合中学は昭和23年4月~26年3月で第4回生であった。同級会は参加者約50名、実に盛大であった。羽合中学は、当時、長瀬村・浅津村・橋津村・宇野村の4村の組合立の中学校であった。昭和28年(1953)4ヶ村が合併して羽合町となった。平成16年(200410月1日に、隣接の泊村東郷町合併して湯梨浜町となった》

 

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《 宇野出身の同級生 》

 

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《 羽合中学同級生 》