1.人事第2班における准空尉・空曹及び空士充員計画の位置づけ
昭和61年度の准空尉・空曹及び空士充員計画の作成を人事第2班が担することになった。利渉弘章空幕人事課長をはじめとする関係上司と人事計画室長のご理解のもとに大英断がなされ、人事第1班、人事第3班と肩を並べて、充員人事計画の作成と実行が一体化された。
元々、組織訓令に定められていたことではあるが、いったん変則となり、長年定着した所掌業務を移管することは容易でなかったが、本来のあるべき姿になることができたことは、画期的な出来事であったといえる。
昭和60年(1985)8月 空幕勤務になるや、利渉弘章空幕人事課長から人事第2班の業務の見直しについて特命を受け検討した。准空尉・空曹及び空士人事の骨幹となる充員計画の作成と実行の一体化は、人事第2班の命脈であるとの所見を報告し、取り上げられ、人事計画室からの移管‣移行も円滑に行われた。
このことにより、名実ともに人事第2班が本来のあるべき姿に戻り、本領・機能を発揮することができるようになった。
昭和61年(1986)12月、空幕人事課人事第2班長に補職され、63年(1988)6月末まで務めた。こうした経緯もあり、航空自衛隊全般の准空尉・空曹及び空士約3万7千名の人事に関わる施策、充員・異動・昇任・昇給等の業務を担当するにあたって、その職務の重責を自覚するとともに全力を傾注して何としてもやり遂げたいと思った。
2.空幕人事第2班准空尉・空曹及び空士人事の担当
空幕勤務間において一緒に仕事をした仲間は、総括担当の2佐竹村肇(防大12期・cs27)→2佐桒原主税(部外46期・CS27)・事務官有賀典之→事務官大堀健、補任充担当の3佐石田敏晴(防大19期・CS33)・曹長久米五三六→准尉染谷忍、経歴担当の事務官廣田正博→事務官山下山下道朗・事務官岩間幸子→安斎敬子・2曹福田文紀→1曹髙橋栄二であった。全員が資質能力に優れ、持ち味を出して能力を発揮し栄進していった。
とりわけ准空尉・空曹及び空士充員計画は、空自の人的戦力の形成に深くかかわる事柄であり、部隊任務の遂行能力の充実を目指した。また、部隊指揮官の指揮統率に影響を及ぼす異動交流については、異動計画構想に基づき、部隊要望の実現に向けて努力した。
3.年度准空尉・空曹及び空士充員計画と人事管理の充実向上
人事第2班における 准空尉・空曹及び空士人事業務は、空自全般に関することと直轄部隊及び共同機関等へ勤務する約1,200名の隊員の人事管理を行うことにあった。
充員計画の作成と実行が軌道に乗ってきたので、年間事業として、5月に全部隊の准曹士人事担当幹部及空曹が集合し、人事全般を内容とする講習を入間基地で実施、次の3月に全部隊の准曹士人事担当幹部及び空曹が那覇基地に集合し、各種異動交流の調整を中心とした講習を開き、次年度の異動交流をまとめ上げる方式を確立し、次年度の充員計画に取り入れるようにした。
また、講習では空幕側の説明だけではなく、准曹士人事上の諸問題についての意見発表と討議を取り入れることによって充員・異動交流計画と人事管理の充実向上を図ることとした。
年度准空尉・空曹及び空士充員計画と関連事項の流れ
人事第2班における充員計画に関わる業の流れも、逐次確立していった。
3月末 次年度充員計画構想及び実施要領 人事課長・人教部長報告決裁
4月中旬 充員計画作成作業 約15日
人事課長・人教部長報告決裁
5月初旬 充員計画業務講習の通達・諸準備
5月中旬 充員計画業務講習 1日 入間
充員計画・赴任旅費・充員、異動の意見発表と討議・人事管理
10月 後期充員計画(修正)作成作業 約15日
報告
10月末 後期充員計画(修正) 人事課長・人教部長報告決裁
12月~1月 次年度異動計画構想作成及び人事課長・人教部長報告決裁
後期充員計画業務講習の通達、諸準備
2月中旬 後期充員計画業務講習 5日(月~金)・沖縄
次年度異動交流の調整と次年度充員計画へ取り込み
人事課長・人教部長報告決裁
3月初旬 次年度充員計画準備作業
構想・各種見積・主要事業への充員調整
3月下旬 次年度充員計画構想及び実施要領 人事課長・人教部長報告決裁
このほか6月人事部長会議、直轄人事班長講習において、人事に関わる施策、充員・異動・昇任・昇給等その他の人事管理について説明し、周知徹底を図った。
《 空幕人事第2班の事務室においての執務 》
《 部隊等の訪問にあたっては、准空尉・空曹及び空士の人事管理の方向・施策の概要、昇任・異動などの経歴理基準について、基地及び部隊の編単隊長、准尉及び空曹と対象範囲を示し、説明・講話・懇談を積極的に行った。》