昭和の航空自衛隊の思い出(344) 空幕勤務1年余における得難い経験と自信

1.  空幕勤務 に慣れる期間を与えてもらった

   昭和60年(1985)8月空幕勤務になって、半年間は、次から次へと新しい課題に取り組み多忙な毎日であったが、今までの部長職からすると比較にならないくらい楽であった。

   それは、小なりといえども組織の長と組織の一員との違いであった。中央勤務と言っても、班長の次席である気楽さからくるものであったかもしれない。前任の部長職のような重圧感は全くなかった。その分、空幕という組織の特質、雰囲気、慣習といったことに十分慣れる時間を与えてもらった。一つの助走、ウオ-ミングアップでもあったように思われる。

 その時は気がつかなかったが、実際はこの期間が自分にとって貴重な1年余であったことを知ることになる。人事第2班の所掌業務に関する問題点や解決の方向をしっかりと分析検討し、なすべき方向、重点を明確にすることができた。

 こうして、初の空幕勤務から1年4か月にして昭和61年(1986)12月、1佐職の人事第2班長に補職されることになった。

 普通は次から次へと押し寄せる業務の為に圧迫感があるものだが、私は忙しくなればなるほど燃えてくるタイプであった。この点は、第2の人生や退官後の地域活動などでも同様で、いっぺんに物事が集中したり忙しくなると元気が出てくる傾向があった。

    押しつぶされてなるものかといった悲壮感はなく、物事はなるようにしかならない、慌てず、着実に一つづつ片付けていけばよいとかんがえていた。

    50歳になっての初めての中央勤務であったが、動ずることなく、淡々と勤務できたのは、歳の功と部隊で人事業務の実務をビンからキリまでこなしてきた経験と自信であったように思われる。

2.空幕の役割と予算化についての経験

  中央官庁の一番重要な役割は、所掌事項に関する施策を決定し、所要の予算確保と執行がある。航空幕僚監部航空自衛隊が任務を達成するための人・物・金を確保する行政官庁としての一面を有している。

    空幕勤務になって、部隊勤務と一番違った点は所要の予算確保であった。人事関係の予算の大部分はすでに継続事業化されているものが多かったが、新規事業の予算化は班の総力を挙げて努力するなど空幕内における各過程を経験することができ防衛予算の一端を担うことを身近に実感した。年末には庁内で待機し、財政当局との各レベルの折衝で防衛予算の骨格が決まっていく様子を垣間見て、空幕勤務の何たるかを感じるようになった。

 部隊勤務では、示達される予算の範囲内で活動してきたが、諸事業の予算化を通じて空幕機能の重要性を知ることとなった。人事業務については、空幕勤務において特別驚くこともなかったが、班員の段階で、髙橋班長を補佐し、人事第2班関連の予算化について、初めて経験したことがその後の班長職に役立った。