1. 千葉・西船橋から東京・六本木の防衛庁航空幕僚監部への通勤
昭和60年(1985)8月航空幕僚監部勤務となり、千葉県市川市の二俣官舎を生活の拠点とした。千葉・西船橋から東京・六本木の防衛庁航空幕僚監部へ通勤する手段は電車である。官舎から西船橋駅に出て終点六本木駅さらには防衛庁へと片道1時間30分~2時間程度かかったように記憶している。この間をどのように過ごしたであろうか。
かってCS学生時代に1年間通学した時は、もっぱら本を読むことにしていたが、今回の東京勤務はゆっくりと考える時間としていた。満員電車であることに変わりはなかったが、出発時の乗車要領はコツを覚えて、どの辺のどこの場所に位置して乗車すると一番空いており、座れるかを経験上推測することができた。仮に立ちばなしであってもそれほど苦痛ではなかったように記憶している。
通勤は余裕を持つようにしていたので、何時も少し早く家を出て、乗車状況に合わせて一列車遅らすこともあった。少し待てば次の電車がやってきたからだ。その日の勤務に備えて、できる限り座れるように努めたものであった。当時、電車通勤をどのように見ていたであろうか。
2. 電車通勤はウオーミングアップの時だ
空幕勤務となって2か月後の9月23日(日)の日記には「 電車通勤」と題して次のように綴っていた。
「電車の中は社会の縮図である。広告の掲載内容さえ刻々の移り変わりが読み取れる。車窓に目を向ければ季節感を肌で感じ取ることができる。また、遠くに高層建築物を見て東京の魔物を知る。
朝の電車は、仕事への助走路にあたる準備段階の時間である。いわばウオーミングの時だ。体調を整え、頭を整理し、気力を充実していく時間帯が電車の中である。」とあった。
最近のバス・電車、新感線などに乗ると、高齢者を除いて大抵がスマホを片手に一生懸命だ。私はどんな乗り物でも、乗車したら周囲を見たり車内の広告を眺めたり、さては人間模様を観察したりしているが、まず人の動きや車内を見渡している人など見かけない。時代を反映しているのであろうか。振り返ると昭和時代の電車通勤の風景模様は多様であったということであろうか。