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昭和の航空自衛隊の思い 出(333) 最初にして最後の防衛庁航空幕僚監部への赴任

1. 防衛庁航空幕僚監部への転任

❶ 市川市の二俣官舎への引っ越し

 昭和58年3月16日付で西警団司令部人事部長を拝命してから2年5カ月、60年8月1日付で航空幕僚監部人事教育部人事課勤務を命ぜられた。 

 配置先の人事課人事第2班長髙橋和夫1佐から内示以降しばしば電話をもらい、色々な手配をしてもらった。官舎は、航空自衛隊幹部学校の指揮幕僚課程学生として1年間学んだ折入居した千葉県の市川市のマンモス団地の二俣官舎であった。

 すでに長男は会社勤め、次男は曹候9期で航空自衛官となっており、妻と中3の三男を帯同しての赴任となった。

❷ 生活環境の基盤づくり

 幹部に任官し結婚した当時は、引っ越しもタンス等の各家財に木材で枠取りをし、日通を利用して貨車を予約したものであったが、20数年の間にコンテナ輸送で運送業者にお任せし搬出・搬入する便利な時代に様変わりしていった。

    8月1日申告後直ちに自家用車で出発、浜松に立ち寄り、翌朝は、浜松から再び自家用車で二俣官舎へ移動した。家具家財の搬入と配置、住民票転入届等、子供の転入挍に伴う手続き、教科書の準備など連日連夜体制作りに集中し4日夕方までに全て完了した。こうしたことはすでに20回近く経験しており、夫婦ともベテランの域に達していた。

2.   最初にして最後の航空幕僚監部勤務

 8月5日の登庁第1日目は早めに電車に乗って出勤、当時六本木に所在した防衛庁航空幕僚監部へ登庁した。庁内は多くの建物が立ち並び壮観であった。航空幕僚長森繁弘空将、航空幕僚副長大村平空将、人事教育部長髙橋恒清将補(防1)、人事教育副部長石塚勲将補(防3)、人事課長利渉弘章将補(防4)へ申告した。時に、満50歳・2佐在級6年であった。

 申告にあたっては身が引き締まった。とりわけ空幕勤務は、最初にして最後の中央勤務であることを十分承知していたからであった。また、自衛隊生活は、終始、職務第一・仕事最優先を貫いてきたことから気負わず今までの生活態度を続けることにした。

   したがって、空幕勤務は、淡々と自衛官人生の総仕上げ、全力投球で飾りたいと心を新たにしたものであった。

3.  東京の中央勤務への対処

 ❶ 通勤 

 空幕勤務は、部隊勤務とは一変した生活となった。西船橋から六本木まで、ラッシュの満員電車通勤に慣れることから始まったが、かって市ヶ谷の幹部学校指揮幕僚課程に1年間二俣官舎から通学した経験があったのですぐに慣れた。

    部隊勤務では、官舎から制服姿で徒歩または自家用車の通勤であった。東京は通勤事情から私服であった。勤務間は制服を着用した。

 勤務

   初日から申告とあいさつ回りが終わるや早速、業務を始めることとなった。職務は班の先任幹部であり、班長の補佐と総括業務であった。最初の仕事が、日誌メモによると「定年前の異動と配置に関する検討」であったが先ずは空幕という独特の雰囲気に慣れることであった。

 連日、いくつかの 歓迎会をこなしながら帰宅は夜の11時頃であった。 一週間勤務してみて、夜になれば防衛庁の各棟は不夜城の如くこうこうと各部屋に電灯がともり、退庁は早くて概ね午後8時~9時過ぎであった。

❸ 健康管理

   着任後1週間にして、空幕勤務は自主的な健康管理が必要であることを悟った。8月15日の日記には、「健康管理」と題して、「空幕勤務は健康管理が第一である。勤務時間にどちらかと言えばけじめのつかない職場であるのが特色である。どのように自己を律していくかが健康保持の第一歩だ。体力・気力の欠けた自衛官から仕事へのバイタリティは生まれない。」と記していた。

 そこで夕食は庁内の食堂で済ませてから再び業務を継続した。帰宅が遅くなっても入浴する前に、トレパンに着替えて、広大な官舎周りをジョキングして汗を流し体調管理に努めることにした。

❹ 空幕初勤務の所感

 初めての「空幕勤務」の所感を8月14日の日記に「空幕勤務者の勤務意欲と旺盛な業務への取り組み姿勢に敬服する。空自を背負って立つ気概が強く、長時間勤務何物ぞと言う点が感じられる。部隊勤務とは一味も二味も異なる勤務である。」「部隊にない資料が大量に保存され、施策決定の府であるとの実感を強くした。」と記していた。

    まさに、航空自衛隊の総本山、エリート集団の本拠地であり、優秀な人材が揃っていた。 

4.   空幕人事課の組織編制

    人事課は課長のもとに制度班(班長大木優1佐)、人事第1班(班長吉川武秀1佐)、人事第2班(班長髙橋和夫1佐)、人事第3班(班長佐藤孝事務官)、及び募集班(班長中原康介1佐)から成っていた。制度班は庶務、服務及び栄典、人事第1班は幹部人事、人事第2班は准尉、空曹及空士人事、人事第3班は事務等人事及び募集班は各種隊員募集を担当していた。

5.空幕人事課人事第2班

 昭和60年8月の人事第2班は、班長髙橋和夫1佐の下、2佐濵田喜己・1尉石田敏晴・曹長久米五三六・2曹福田文紀、事務官廣田正博・事務官有賀典之・事務官岩間幸子の8名であった。