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昭和の航空自衛隊の思い 出(328) 防大1期の田中憲明団司令の指揮・統御

1.     防大1期の田中憲明団司令  

   昭和58年3月16日付で西部航空警戒管制団司令部人事部長に補職され2年が過ぎた頃、西警団司令正信恭行将補が60年3月16日付で北部航空方面隊司令部幕僚長へ補職・離任された。正信団司令には、人事部長として約1年6月お仕えしてきた。これは人事部長職在任期間約2年6月の大部分を占めるものであった。

 次いで着任された団司令は、防衛大学1期生の田中憲明将補であった。田中将補とは20 年前に私が要撃管制幹部として、峯岡山分とん基地に所在する第44警戒群本部運用班長当時、新設された坂東官舎で一緒だった。部隊は別であったが、第1高射群指揮所運用隊の先任幹部、次いで指揮所運用隊長で活躍されていたことから顔見知りであった。

   西警団司令兼ねて春日基地司令として着任された 田中憲明将補は、防大1期生にして将軍らしい将軍で、理路整然とした話しぶりと自信に満ちた堂々とした態度はまさしく指揮官タイプであった。

 団司令との上下関係は同年8月1日付で私が航空幕僚監部へ転出することとなり、短期間ではあったが人事部長として思い切り仕事をさせていただいた指揮官であった。もっと人事幕僚として補佐をしたいと思ったほど非常に印象に残った団司令であった。

中憲明団司令のプロフィルは、

2016-06-16  昭和の航空自衛隊の思い出(301) 司令部における団司令と人事部長の関係

で紹介した。

 高射幹部出身で、防空ミサイルの作戦運用部門を歴任し、 航空幕僚監部防衛部 SAM-X プロジェクト担当時には、ナイキ地対空防空ミサイルの後継機種選定の責任者として パトリオット防空ミサイルを選定、その導入計画を策定した。その計画に基づいてパトリオット防空ミサイルが日本に配備されることになった。 

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《 昭和60年3月、 新着任の西警団司令兼ねて春日基地司令 田中憲明将補に関する春日基地新聞の記事である。》

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《 昭和60年5月9日・防衛情報専門紙「朝雲」第1645号は、一面を使って「一線部隊はいま」で西部航空警戒管制団を特集し17警戒群をルポした。変色してしまったが当時の記事による田中団司令の横顔である。》

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 《 昭和60年9月4日の日記に、防衛専門紙「朝雲」の切り抜き記事が張り付けられていた。8月空幕へ転任したが、古巣の西警団の状況に関心をもってウオッチングしてたことが伺える。田中憲明団司令の指揮統率ぶりがよくあらわれた記事であった。団司令部監理部広報班長田口1尉が執筆したものである。》 

2.   田中憲明団司令の指揮・統御

    当時の日誌メモによると、団司令として着任後の昭和60年5月23日の直轄部隊長会議に際しては、自筆の「統御道」を示された。防大1期生としての誇りと数々の部隊経験から指揮官の統御道について、かくあるべしと次掲の通り所信を表明されたものであった。   

f:id:y_hamada:20160805222504j:plain 《 昭和60年5月23日の直轄部隊長会議に際しては、配付された自筆の「統御道」》

 

3.  指揮・統御・管理 

 遥か昭和の時代、3術校の要務課程等で,上級空曹に「指揮・統御・管理 」を次のように説明していた。こうした用語は自衛隊では日常茶飯事でに使われていたが、一般では馴染みがないので、統御道を理解する上でとりあげてみた。

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 《  指揮・統御・管理の関係について、解りやすい説明であったことを覚えている。当時の指揮・統御・管理の各種教範等からまとめたのではなかろうか。》