昭和の航空自衛隊の思い出(305) 女性の立場から防衛基盤確立の先覚者粥川知美女史

1.   女性の立場から熱烈な防衛の理解・支援者

 昭和58年3月から60年7月末まで西部航空警戒管制団司令部人事部長として、勤務した折、特別に強烈な印象が残っている女性について記しておきたい。 

 それは当時、(株)極東フーズコーポレーション代表取締役社長をしておられた粥川知美(かゆかわ ちはる)女史であった。この項を書くにあたって調べたら別掲の内容のとおりすでに平成25年にお亡くなりになられていた。心からご冥福をお祈り申し上げます。

 粥川知美女史が春日基地との縁を結ばれたのは、西警団司令兼ねて春日基地司令正信恭行将補との出会いであったように記憶している。基地の主要幹部との交流が深まる中で、春日基地のみならず所在部隊、隷下部隊長等との交流も広がっていったように憶えている。

 社業のことや商売のことは一切触れられることもなく、自衛隊の任務に関し一般国民との橋渡し的役割を積極的に担われた。

  当時、粥川さんとは、どこか気が合って時の西空司令官大村平空将、正信西警団司令・基地司令を表敬訪問される前後にはひょつこりと人事部長室に顔を出されることがあった。

2.  ライフワ―クとされた自衛隊協力支援

    時あたかも西警団は 全国武道大会で3連覇を目指して選手団の練成訓練をしていた。毎週の如く応援に訪れ、ミスタ-ド-ナツも差し入れしていただき選手の若い隊員は一段と燃えて大歓迎を受けたたものであった。「気さくな女社長さん」「自衛隊フアンのおばちゃん」「隊員のお母さん」役をこなされどこでも歓迎されていたのが瞼に焼き付いている。

 また、離島サイトには自費で訪問され、講話や若い隊員の人生相談にも乗っていただいたこともあった。今時の相談員のはしりであった。隊員指導の面で離島サイトの青年隊員に夢を与える人事施策に取り組んでいる最中であった。また、「カウンセリング講習」の導入のように隊員の心に響く指導を推進しているところでもあったからありがたい存在であった。

 当時から女性の立場からわが国の防衛の理解を深める先覚者にならんとひそかに志しておられる様子が伺われたものであった。その後、福岡県防衛協会女性部会を設立され会長として活躍されたのであった。

 正に女傑と言ってよい方であったが、隊員に対しては下の者に対してほど丁寧な言葉づかいで心優しさが伝わってくる方であった。

 ネットで見る訃報の記事にも「ライフワークとして、01年に有志とともに福岡県防衛協会女性部会を設立、女性の立場から我が国の防衛について理解を深め、健全な防衛思想の普及に努めるために、最期まで名誉会長として活動を行なっていた」と認められている。

  こうしたことから、春日基地といえば粥川女史の顔が浮かぶくらいであった。地方で知名度が高く、積極性に富むバタリティのある女性の自衛隊支援者であったことから忘れられない方のお一人でもあった。

 後年、私が空幕人事課に勤務していた時、粥川知美女史が上京されたので、幹事役となって、在京のかって春日基地に勤務し女史と交流のあった幹部が多数参集して歓迎会を設けたことがあった。ここでは、航空幕僚副長谷篤志空将以下錚々たるメンバーが揃い旧交を交わしたものであった。   

3.  女性団体のいる防衛団体連合会の結成

 こうした経験から、平成2年退官後、隊友会浜松支部長として、平成8年縁あって浜松防衛団体連合会の結成に発起人として参画した折は、いち早く女性の協力団体の参加を求めたものであった。女性団体のいる防衛団体連合会の結成はまさに時代の要請であり必須であった。その根底にあったものは春日基地勤務時代の粥川女史の活躍と存在があった。   

 幸い、当時結成されたばかりの浜松基地女性協力会には有能な会長鈴木加代子氏がおられ、お誘いしたら率先して浜松防衛団体連合会に加入され、女性団体の加入した全国でも画期的な防衛連合団体をスタ-トすることができた。その活躍と存在は全国でも有名である。

    今日、浜松基地防衛団体の一翼を担う浜松基地女性協力会の鈴木加代子会長と全く同じような役割と存在を果たされたのが粥川女史であった。自衛官人生の奇縁であった。大相撲九州場所において砂被りで観戦の機会を与えていただいたこともあった。

 

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《昭和59年ごろ、(株)極東フーズコーポレーション代表取締役社長粥川知美女史と》

 

【訃報】極東フーズコーポレーション会長 粥川知美氏「お別れの会」

企業
2013年3月26日 14:03  

 (株)極東フーズコーポレーション 代表取締役社長 粥川昌洋氏の御母堂で、同社会長の粥川知美(かゆかわ ちはる)氏が、病気療養中のところ、2013年3月20日に亡くなられた。享年79歳。

 知美氏は、1987年7月、同社代表取締役社長に就任後、2005年6月に同社代表取締役会長に就任した。
ライフワークとして、01年に有志とともに福岡県防衛協会女性部会を設立、女性の立場から我が国の防衛について理解を深め、健全な防衛思想の普及に努めるために、最期まで名誉会長として活動を行なっていた。

 密葬は近親者のみにて執り行なわれたが、一般の方との「お別れの会」をにつてのお知らせが掲載(省略)されていました。

 

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 《 西警団勤務当時の日刊工業新聞の切り抜き、極東フーズコーポレーション代表取締役社長粥川知美女史の新規事業に取り組む執念・研究熱心な姿勢に心打たれるものがあったのであろう。当時のメモ帳に残されていた。》