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老いる雑感(11) 80歳を過ぎて感じていること

1.  肩書のない普通の生活

 80歳を超えると、過去の肩書や栄光は全く関係がなくなってくる。地域の団体の役職等はあるが、これは世話係的なものか名誉的なものである。

   現職時代は、どんな職業についても、どこに勤めていようが、肩書で評価・判断されることがある。組織の中で仕事をすると、年功を積めばそれなりの地位・肩書きを有することになる。それなりの社会的な地位や名誉をもつこともできた。
 定年退職及び再就職を終えると、一般的には肩書きがなくなるものだ。これが世の習いでもある。肩書を外したというよりなくなった生活は気が楽である。社会人としての社会的な義務や責任は、この世を去るまで逃れられないが、退官後も心の片隅にあった肩ひじを張る生活からは遠ざかった。
 80歳という大台を超えたら完全に肩に何もなくなった感じである。これからも社会的な活動は続けていくが、義務ではなく自らのボランティア精神を中心とたもので動いていくことになるであろう。
2.  普通の生活ができる生活基盤 
 80歳を超えてみると、「毎日が月~水~金」とはいえ、何物にも縛られることなく暮らしている。多くは自分の選択・決定したものであり、忙しいが負担に感じたりすることもなく、当たり前のこととして毎日を過ごしている。
 その根底にあるものは普通に暮らせる経済的な基盤があって成り立っていることに気付く、まさしく年金生活そのものであるが、贅沢をしなければ普通の生活ができるからである。海外旅行など考えたこともない。出来れば国内旅行をしてみたい程度の願望があるくらいである。
 特別な資産があるわけでもなく、蓄財もないから、オレオレ詐欺に会うこともない。いまさら贅沢をしたいとも思わないし、普通の暮らしでよい。社会的・経済的な大変動もなく、平凡ながら「普通の生活ができる生活基盤」があることに感謝している。 
3. じっくりと 世の中を見渡す
 80歳を超えたら、世俗的な欲がなくなってきた。積極的に何でも手に入れようとする物欲・金銭欲は減退してしまった。これは年齢からくる一種の「あきらめの境地」からであろうか。今更という感じである。特に経済的な活動能力はゼロに近くなってきたからであろうか。
 人間欲がなくなってくると、多少とも世の中のいろいろなものが見えてくるものだ。
何物にも邪魔をされず、物事をジックリと正視するようになった。他人様の善悪をあげつらうことなく、雑音にとらわれず何が正論か見極めたいとする姿勢が強くなった。
 新聞テレビを視聴しても、一方的な意見・持論・主義主張より事実関係やあるがままの状況の提示、解説、事案に対する賛成・反対の意見であれば双方の提示を求める傾向が強くなった。
 そこには、自分が判断するのであって、一方的な紙面や画面はいらない。自分が主体的に判断する客観的なものを強く求めるようになった。今までよりも一歩「世の中を見渡す」ことができるようになったのであろうか。