昭和の航空自衛隊の思い出(303) 陸・空基地と周辺市長・市議会との交流

    昭和58年3月西部航空警戒管制団司令部人事部長として勤務した折、春日市大野城市陸自福岡駐屯地・空自春日基地とのソフトボ―ル親善試合が土曜日の午後、陸自のグランドで行われた。試合後懇親会が開かれた。試合にも出たがどこを守ったかは定かではない。

 親善試合は両市長、助役、収入役、市会議員も加わり和やかなものであった。試合の結果は、体力練成した強者との対戦であるから自衛隊側が勝って当然ではあった。そのことよりもソフトの試合を通じて親睦を図れるほど基地周辺市と良好な関係が築かれていた事が強烈に印象に残った。

 どの基地においても周辺市町村との関係が良好であることが基地の安定と円滑な運営に重要であった。

    昭和の時代は、時折革新系の市長であっても市民の代表者という立場で個々の基地との関係では比較的穏健であったように憶えている。これは当然のことで、災害対処にしても平素からそれなりの良好な関係を維持していく努力をしている様子が伺われたものである。

 各基地を勤務しているといろいろな市町村に居住することになった。一部を除いて、基地と周辺市町村との関係では、いったん市民の代表として選任されたら主義・思想にとらわれないで、多少の温度差はあっても公正に対処する姿勢が見られたように記憶している。 

    昭和の40年代から50年代にかけて、当時の社会全体を見渡すと、市町村の窓口が法律で定められた自衛官募集業務を拒否したり、自衛官の子弟の転校を阻む行為があったりした。こうした諸問題に直面したことからとても印象に残っている。

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《 昭和58年6月春日市大野城市春日基地との親善試合記事、当時の春日基地新聞の切り抜きがアルバムに貼られていた。他では経験しなかった、それなりに印象の強い行事であった。 》