浜ちゃん日記 高齢者の「毎日が月~水~金」

1. 高齢者の「毎日が日曜日」

 かって定年になったら「毎日が日曜日」の日がやってくるといわれたものである。退官後の再就職などすべて終えばかりの知人の便りの中にも、「毎日が日曜日」となったとの内容のものが決まり文句のようにあった。

 そこには、これからは毎日自分の思う通りに生活できる。決まった時間になれば出勤したり、多少身体の調子が悪くても仕事を処理することもない。自由に思うがままに起きて、食べて、寝ることができるとの意が含まれているように感じた。

 さらに進んで後期高齢者となると、本当に何もすることがてなくてテレビの子守をしているという人もいる。多少誇張したところがあるので話半分として受け止めた方がよいこともある。実際はすることがないのではなくて、自分一人では出来ない状態になってきたり、何をやるにも意欲と気力を失いかけていることから起きていることではなかろうか。

2.  高齢者の「毎日が月~水~金」

 高齢になっても、実際は忙しい毎日であるのが現実でもある。各家庭によって状況は千差万別であり、老々介護有ったりで現実は厳しい。私の見聞する限り、すべての好条件が揃って毎日を過ごせる人は少ないように感じている。その点からすると、自分の都合の良いように、自分の意志で自由に一日を過ごせる人は幸せだと思う。

  多くの高齢者は、毎日やることがあって「毎日が月~水~金」であるが、自分の健康が決め手となる。自らの身体が普通に動くことによって、自分のために、家族のために、社会のために自分の意志で過ごすことができるからだ。そこには自分の自主的な管理で時間配分ができるからやり甲斐と満足感・達成感が生まれる。

 自分だけのためにすべてを費やす人、家族のために費やす人、更には地域社会のためにと人様々である。自分のおかれている状況に合わせて自分で決定すればよい。

3. ささやかな奉仕「 地域社会のために」

 日本は世界でも冠たる超高齢社会に突入している。医療費一つ見ても高齢者が社会から大きな恩恵を受けている。こうした中で多くの高齢者が、大したことはできないが自分の健康や体力気力に応じて地域社会に役立つことをやりたいと思っている。

 今日は日曜日であるが、朝8時から健康広場の外柵沿いの雑草集積分の処理をしていたら、シニアクラブのOさんが鍬をもって雑草除去作業にやってきた。もう1人のTさんはごみ集積整理かご置き場の整備と清掃、トッテのペンキ塗りをした。いずれも何の打ち合わせもなくたまた一緒になったのである。

 そこに共通しているものは、自主的に自分で考えで環境美化作業をしたもので、自分の住む町の環境美化向上に少しでも貢献したいとの行動であった。

 高齢者の「毎日が月~水~金」の中に、自分のために、家族のためにの次に、ささやかな奉仕「社会のために」が加われば、気持ちの良い一日が過ごせる。午後は雨が降りだした。心地よい汗と達成感は良き日となった。

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 《 健康広場外柵沿い 》

 

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《 健康広場 》 

 

 

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 《 整然としたゴミ集積所かご 》