元自衛官の時想 (6) 祝日における家々の国旗に寄せて

1.祝日におけるわが家の国旗掲揚 

   今年の春の連休は、「4月29日・昭和の日」、「5月3日・憲法記念日」、「5月4日・みどりの日」及び「5月5日・こどもの日」と祝日が続いた。

 ゴ-ルデンウイ-クと称し、行楽のシ-ズンであった。当地は、いずれも晴天に恵まれた祝日が続いた。その上、浜松は「はままつまつり」で凧揚げと屋台の繰り出し出にぎわった。連日の祝日は、わが家の玄関に国旗がはためいた。

 片や九州では地震災害で厳しい状況にあった。 

2.  祝日における家庭の国旗の掲揚

    去る4月29日・昭和の日は、朝から隊友会浜松支部の総会・記念講演及び懇親会に出席するためバスに乗車した。最寄りのバス停留所から浜松駅までの間、何気なく国旗がいくつ掲げられているか数えてみた。

 わが国の恥をさらすようで、その数を記すのは止めた。諸官庁など公共機関の建物には当然の如く、国旗は掲揚されていた。

 祝日に、家々に国旗を掲げることが少なくなったことはどこでどのようになったであろうか。オリンピックのような時には、国旗を振って選手を応援するのに普段の祝日には国旗への関心がない。日本の家庭で国旗を持っているのはどのくらいであろうか。

 昭和30年に自衛隊に入隊し、最も感動したのは朝礼時の国旗掲揚であった。じ来34年余自衛隊勤務では朝夕国旗の掲揚に始まり国旗の降下で普通の勤務を終えた。

自衛隊勤務においても定年退官後も官舎や自宅で祝日には国旗を掲揚してきた。あたり前のことをあたり前にしてきた。私が不在の時には家内が何時もの通り実行してきた。

 3.主権を失った敗戦国と占領政策

 大東亜亜戦争終結後、戦勝国のGHQは、日本を占領下におき、敗戦国に対する6年7ケ月に及ぶ徹底した占領政策や戦後教育が行われた。

 ようやく対日講和条約により独立・主権を回復したとはいえ、これほどまでに骨抜きになった国は世界史でも珍しいであろう。終戦時小学5年であったから、戦後史を学ぶまでもなく、片た田舎から中学、高校生時代にわが国の在り様を見聞してきた。

 その最たるものが、子供の頃どの家庭の軒下にも立ち並んだ国旗がこれほどまでになるとは予想しなかったであろう。 

4.  国旗は国家の尊厳と象徴

    世界各国は政治体制、民族の構成など様々であっても、自らの意志と発議で定めた自主憲法を持ち、国旗・国歌も国家の尊厳と国民の象徴・誇りとしている。

 世界広しといえども、自国の国旗を誇りとしない国家・国民は存在しないであろう。国旗を国の象徴として大切にするのは、「世界の常識」であり、「普通の国」の姿である。

   自衛隊をはじめとする国家機関は当然国旗を掲げている。国家の真の独立は、国民の意識と行動によつて決まる。

    戦後あらゆる面で目覚ましい発展を遂げた日本であるが、国家の基本となる国の守りとなる軍隊・自衛軍の位置付け、国家の安全保障体制・非常事態対処・危機管理体制といったことは、世界のどこの国でも憲法で定めている。これが「普通の国」であり、「世界の常識」である。

   戦後70年経つ世界の中の日本は、未だ国の形にかけたところがある。自主独立心を持って「普通の国」にならねばならない。

普通の国」になるのはいつの日であろうか。 わが国に欠けているものを1日も早く取り戻して欲しいと心から切に願うものである。

 

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《 わが家の玄関に掲げた国旗、今から20年ほど前に車で佐久間ダムに抜ける途中の集落で、どの家々の軒先にも国旗が掲げられていたのが強烈に記憶に残っている。どうしても場所を思い出せないが、祝日に「ぜひ行ってみたい場所」の一つである。》