多くの方にブログを読んでいただけることはありがたいことです。
私のブログに対してコメントを寄せられた方と内容の多くは、「がんとの闘い」では同じ病で闘っている方、「昭和の航空自衛隊の思い出」では、薫陶を受けた指揮官、寝食を共にした同期生、一緒に苦労を分かち合った先輩と仲間、初級操縦課程の飛行教官などで登場された諸兄のご子息、関係の皆さんからのものです。コメントはありがたくしっかりと拝見させていただいております。
〇 「がんとの闘い」では、私も発病を知った時、ネットを通して多くの方の「病気との付き合い方」を読みました。 「 kaneko」さんからは膀胱癌で再発を繰り返し3回目の内視鏡手術を受けたが、同じような再発経過をみてすこし安心しましたとありました。がんとの闘いは3回の手術を経て順調でありますが、油断大敵と6ケ月ごとに精密検査及び診察を受けております。
〇 元海上自衛隊一海士さんは、私が若い時代に新婚の妻が産後の肥立ちが悪くて急死した苦難の時代に寄せて、家に来てくれた奥様が「僅か2ヶ月で脳腫瘍で倒れ、それから15年経過しているのですが、障害はあるものの現在は、楽しいようで、よく笑う事が多いです。人生って、安息した隙に何かが入り込んで来て、次から次ぎへと難題があるものですね」とありました。人生は谷にあり山ありです。至る所に青山ありです。
〇 初級幹部として第一線部隊の要撃管制官として同じクル-で警戒管制任務に従事し、ご指導をいただいた先輩の小島千秋さんからコメントをいただきましました。懐かしく当時を思い出しました。
24時間の警戒監視のレ-ダ-基地の山頂にあって、深夜交代時眼下の平安の町々を見下ろし「われ防衛の第一線にあり」と心底から思ったものです。
〇 第1期操縦学生同期の山口誠君のお嬢様山口晴美さんからもコメントをいただきました。同期の絆は60年余の歳月を経ても変わらないものです。
〇 通行人さんから、私がかって陸上自衛隊の 新隊員後期教育を受けた福知山駐屯地の思い出について、時代が異なっても勤務地の思い出に馳せてコメントをいただきました。霧の都でした。
〇 石井光政さんからは、私が中警団司令部副官として、中部航空警戒管制団司令兼ねて入間基地司令石井信太郎将補にお仕えした当時の思い出に対してコメントを寄せてくださいました。石井さんは司令のご子息であり、後年、中部航空警戒管制団司令兼入間基地司令をされ、親子2代の基地司令となりました。誠に奇縁というものであります。
〇 島多義彦さんからは、私が小松基地在勤の折、次男が串小学校4年・5年生のとき同じクラスであったこと、担任の関本孝二先生の学級通信や川柳について触れた内容に関してコメントをいただきました。子どもは航空自衛隊浜松基地で元気に勤務しております。本当に心に残る先生でした。