昭和の航空自衛隊の思い出(295) 基地を異にする転勤と見送り

    自衛隊において、人事異動・基地を異にする転勤はつきものである。特に昭和の時代は逐年、部隊の新編・改編・移動展開が行わ、人事異動が頻繁であった。

 飛行教育課程のように初級の操縦から高度の操縦課程へと進んでいく過程で、基地を異にして異動していくもの、さらには機種転換の操縦教育が行われた。

   術科教育のように各特技職の初級、中級、上級課程へと進むもの、一般教育で各種の教育を受けるものなどあるが、多くは原隊から入校し、所定の教育課程を修了したら原隊へ復帰するものであった。

   一般教育でも、CSのような1年間の課程は幹部学校へ所属する異動形式となる。このように様々であった。

   学校の各種の課程に入校する者を除いて、一般的に部隊や勤務地を異にする「異動」・「転任」、いわゆる世間一般の「転勤」では、部隊単位で送別会を行い、朝礼で転任者の紹介、見送りが行われていた。

 特に、基地を異にする「異動」は、住み慣れた土地と部隊を離れて、新しい任地へ赴任することであり、家族を帯同する場合、単身赴任の場合など精神的・経済的な負担も加わるが、新任地の勤務と土地に慣れると「住めば都」となるから不思議でもある。

 自衛官人生は、いつの時代も、送る側、送られる側の繰り返しであった。

 

人事部において、事務官等人事を担当した畑島圭吾事務官の転勤見送り風景 

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《 司令部玄関前で、左から草野正知事務官・事部長濵田喜己2佐・畑島圭吾事務官 》

 

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《 左から厚生班長白壁3佐・畑島圭吾事務官・草野正知事務官・衛藤美穂子事務官 》

 

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《 事務官等人事を担当した畑島圭吾事務官を見送る人事部の大黒柱の永友忠光准尉と人事部長濵田喜己2佐。定期の人事異動とはいえ一緒に仕事をした仲間を送りだす・「会うは別れ」自衛隊生活の一コマである。》