昭和の航空自衛隊の思い 出(293 ) 自衛官生活における酒と余興の遍歴と効用

 1.  民謡から演歌へ

 昭和の30年代は、もっぱら地声で民謡や流行歌を唄うことにしたが、40年代後半からはカラオケ時代に突入して、もっぱらカラオケによる演歌を歌うことにした。時たま、郷土鳥取県の「貝殻節」などを唄った。

 自衛隊勤務は、人事異動・転勤に伴い、その都度、歓迎会・送別会などが行われ、お酒が入り、請われれば、その場の雰囲気に合わせて歌ったものである。同じ歌でも年期を重ねれば、訓練と同じで練度が向上するものだ。場数を踏めば踏むほど自信もついた。 

2.  転勤と余興の効用

 部隊勤務で、着任した最初の歓迎会は、固い通り一遍の挨拶は省略し、積極的に歌を唄い、雰囲気によってはドジョウ掬い等をやって、自分を知ってもらうことに努めた。

    かたい話より個性の出るドジョウすくいや演歌の方が受け入れられた。仕事の話は酒の席ではなく、落ち着いた場所や職場でじっくりと話した方が良いのは当たり前だ。30余年の自衛隊勤務で、「貝殻節とかけて浜田と解く」とまでなった。それだけ徹底したというこどであろう。 

3.  誘われれば応ずる

   今の時代と違って、みんなが一緒になって宴会や飲み食いすれば、心が通じ合える雰囲気があった。誘われれば仕事の緊急の処理で参加できない場合を除いて、何とか都合をつけて応ずることにしていた。その根底にはお酒自体が嫌いでなかったことにあるようだ。酔っぱらって前後不覚になったことはなかった。開放的になるタイプではあった。 

 4.自衛官は自腹族

 昭和の時代は、高度成長期で右上がりの時代であった。世にいう「社用族」なるものが、会社の仕事上にかこつけて飲み食いを営業費等として処理することが一般化した時代があった。

 34年余の自衛官生活で、「ただ酒」は縁がなくお酒はすべて自腹であった。「社用族」なるものは別の世界のことであった。昔も今もこの辺のところは変わりがないであろう。部隊長会議はもとより会議・講習後の懇親会は参加者全員が会費を払って参加した。自衛官は「自腹族」を当然のことし、当たり前のこととしてきた。

 どんな形の歓迎会であっても、自分の歓迎会であれば、少なくとも会費の2倍以上の寸志を幹事に渡すのを通例としていた。皆さんに対する感謝の気持ちであった。

 

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 《 生の伴奏で歌えるということで、服装も歌手になった気分で演歌を歌った。》

 

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《 最初のレコード盤からテ-プ、CDと機器が進歩向上してきたことから時代に応じて機器を購入して練習した。歌は平素の練習・口ずさむことが必要である。自衛官生活におけるカラオケなど良い方向に活用できたように思う。 》