自己実現の努力と豊かな人生への挑戦
自衛隊生活において、「自己実現(人生に目的や目標を持って、その実現の為に努力し成し遂げること。)」を図ることは、隊員個人の充実と豊かな人生を築くことに繋がるとの固い信念をもって、人事幕僚業務に従事してきた。どんな困難にも直面しても、志のある隊員は、隊務にも積極的に取り組み部隊にとってなくてはならない人材となるからであった。
自衛官生活では様々なチャンスがある。士から曹への昇任試験、曹候への受験、部内幹部候補生や幹部昇任試験(3尉候補者)、各種要員の選抜試験、指揮幕僚課程選抜試験から大学通信教育などであった。世間でいうところの「出世」といったこととは次元が異なるものだった。
自分が定めた目標に向かって自己研鑽することは識見技能を高めることにつながり、「自衛隊生活をより一層豊かにしてくれる」ものであった。
自衛隊勤務においては、人事・教育・訓練などの諸制度が整っており、その気になれば機会が与えられていた。勤務をしながら自分が設定した目標に向かって努力することが出来る組織であった。組織が「人を育てる」システムを有していたということである。
3.服務だより
先の「自己実現の努力と豊かな人生への挑戦(1)(2)において、❶ 部内幹部候補生選抜試験 ❷ 幹部昇任試験(3尉候補者) ❸ 部外幹部候補生試験 ❹ 一般空曹候補学生試験 ❺ 大学通信教育への挑戦について、西部航空警戒管制団司令部における「服務だより」からその一部を紹介した。
今回は、❻ 「男の目標」、特に青年隊員の目標を取り上げる。昭和の時代の青年自衛官はどんな目標を持っていたであろうか。
人事部長在任間、西部航空警戒管制団司令兼春日基地司令は、本野順三将補・正信恭行将補・田中憲明将補補へとバトンタッチされ、田中団司令は「男は男の目標を持ち日々前進せよ」と「群一」「団一」「空自一」を目指すことを強調された。 どんなことでも「一番を目指せ」と 明快であった。
昭和59〜60年のことであった。ここに登場した皆さんはその後どのような人生を歩まれたであろうか。
❻ 男の目標。
《 「服務だより 」は、更紙に鉛筆書きで作り上げ、コピーする時代であった。まさに「瓦版」で素人の手づくりであった。今読み返してみると温った加味があったのではなかろうか。編集は皆の知恵を借り、手書きは、特別指導担当官の道添勉曹長や二ノ宮実曹長にお願いしたように記憶している。離島等における青年隊員が堅実な目標を胸に秘めて、黙々と持ち場をしっかりと守って精進している姿が浮かんできた。「国の守りここにあり」であった。》